2019年6月6日 第23号
カナダ・モーゲージ・ハウジング公社(CMHC)は5月31日、全国の高齢者施設や賃貸住宅の空室率を発表した。それによると、独立型高齢者住宅の空室率は昨年の3パーセントから4・2パーセントとなり、2012年以来初めて上昇に転じた。なお、ブリティッシュ・コロンビア州の賃貸住宅の空室率は、2018年10月の段階で1・4パーセントだった。
CMHCの主席マーケットアナリスト、エリック・ボンドさんによると、空室率は改善したものの、高齢者施設で提供されるサービスなどから、その賃貸料は上昇傾向にある。独立型高齢者住宅の賃貸料は昨年から平均で5・4パーセント上昇して、3千2百ドルを若干上回るところまで来ている。この状況から、高齢者施設は決して誰でも入れるようなものにはなっていないと、ボンドさんは指摘する。
また1日あたり90分の高レベルケアを必要とする人向けの特別施設の空室率は逆に低下し、1・3パーセントとなった。低下率が最も大きかったのは、BC州のバンクーバー島だった。
昨年、空室率が最も低かった高齢者施設は、中程度の価格帯の物件だったが、今年に入り人気は低価格帯の物件にシフト、その需要が高まってきているという。
一方で、高齢者が一般在宅にとどまることを支援するオプションが増えていることから、実際に高齢者施設に入居する老人の割合は、特にBC州では低く、8パーセント台になっている。
2016年に出された予測では、BC州では2035年までに新たに3万900床の長期ケア施設が必要になるとされていた。この年までには、BC州の総人口の4人に1人が65歳以上になっているという。
2019年6月6日 第23号
ブリティッシュ・コロンビア州ローワーメインランドのポートムーディで5月31日、クマが列車にひかれる事故が起こった。
場所は同市を通るスカイトレイン・ミレニアム線のムーディ・センター駅付近。同線を運行するトランスリンクの係員が、列車との接触が原因とみられるけがを負ったクマを正午ごろ発見した。自然保護官が出動し、このクマを線路の敷地から移動させた。
この間、同線はムーディ・センター駅とコキットラム・セントラル駅間で折り返し運転となり、利用客はこれら両駅で、そこから先の接続列車に乗り換えなければならなかった。
2019年6月6日 第23号
ケベック州東部の病院で、20年にわたり看護師として勤務していた女性が、実は無資格だったことが発覚し解雇された。
この女性が勤務していたのは、人口14万5千人弱の都市サグネ市を構成するジョンキエール地区の病院。同地域を管轄する当局によると、この女性は何らかの方法を用いて病院に看護師として採用された。その後も同姓同名の別の看護師の看護師免許番号を使って、勤務を続けてきた。
しかし先月、看護師のトレーニング・コースに参加した際に、この看護師免許番号から確認された年齢と、彼女の実際の年齢が一致しないことから偽装が発覚した。その場で資格停止となった彼女は、その後の調査の結果から無資格であることが判明、病院も解雇された。
それまでの20年間、この女性は病院内のいくつかの部署で働いてきたが、その中には手術室も含まれていたという。
2019年6月6日 第23号
2017年のノーベル平和賞授賞式でスピーチした、トロント在住の被爆者サーロー節子さんが、4日、母校のトロント大学から名誉博士号を受け、卒業式で演説を行った。核兵器禁止条約の採択に貢献するなど、長年の活動が評価された。
サーローさんは13歳のとき学徒動員先の広島で被爆。日本、アメリカ、カナダの大学を経て、カナダでソーシャルワーカーとして30年以上勤務する。その後、軍縮教育に国際的に従事し、世界中の教育機関で核廃絶に向けて現在に至るまで活動している。
演説ではサーローさんは、「被害を二度と繰り返さないように世界に向けて声を上げ続けてきた」と、核廃絶に取り組む必要性を訴え、卒業生に「ビジョンを持って社会を変える力になってほしい」と言葉を送った。
2017年、弊紙インタビューに応じるサーロー節子さん
2019年6月6日 第23号
川崎市多摩区の私立カリタス小学校のスクールバス乗り場で5月28日、バスに乗り込むところだった児童や保護者が包丁を持った男に切り付けられ、20人が死傷する事件が起きた。
この悲惨な事件は瞬く間に世界の耳目を集めたが、この報に接した、同校設立のもととなったカナダの修道女会が、被害者とその遺族に哀悼の意を表すコメントをメディアを通じて発表した。
この修道女会は、ケベック州ケベック市にあるカトリック系宗教団体、ケベック・カリタス修道女会で、約150年の歴史を持つ。太平洋戦争敗戦後の困窮した日本を支援するため、宣教師を日本に派遣するよう求めるローマ法王の呼びかけに応じた同修道女会が、1953年に3人の修道女を日本に送ったのが、私立カリタス学園設立のきっかけとなった。
1960年には学校法人を設立、61年に修学院と女子中学高等学校を開設。その後幼稚園と小学校、さらに女子短期大学を順次開設していった(女子短期大学は2017年に閉鎖)。
川崎市のカリタス学園を今までに2回訪れたことがある、カリタス修道女会のシスター、モニーク・ジャルベスさんが同学園を最後に訪れたのは約2年前のことだった。ジャルベスさんが今回の事件を知ったのは、同僚が偶然インターネット上でこのニュースの第一報を見つけたことだった。事件現場の地名に聞き覚えがあった彼女は、それが自分たちの学校でないことを祈ったと取材に話している。現場付近は閑静なところで、こんな事件が起こるわけがないと自分に言い聞かせていたものの、不安は現実のものとなってしまった。唯一の救いは、現場に居合わせた人々が次々と救いの手を差し伸べたことだったと語るジャルベスさん。
それまでも登下校時の送迎など、児童の安全については十分考慮されていたと指摘する彼女は、今後児童らが安心感を取り戻せるようにするのは、並大抵のことではないと案じている。しかし現地にいる同修道女会のシスターたちは、学園がこの事件を乗り越えられるよう全面的に支援していくと話していた。