2018年1月25日 第4号
イラスト共に片桐 貞夫
昨年七月十日付けの小さな記事は「死体の身元判明」の見出しではじまっていた。
『七月七日朝、大里郡寄居町字西林にある祠の前で死体となって発見された老人の身元が判明した。老人は、埼玉県朝霞市朝霞台の養老院・京楽荘に居住する勝本修司さん(九十一)…」
美重子が吐息することを止めた。
勝本修司、しゅうじ、シュージ…「しゅーじさん」と、美重子の手を握って息を引き取った青田チヨの最後の声が美重子の耳を撃った。
『…と判った。勝本さんは、去る六月三十日の午後、当荘に無断で外出しており、以後、行方不明になっていた。勝本さんは金銭を持ち合わせておらず、どういう行程で寄居にたどり着いたのか不明であるが、死因に不審なものはなく、寄居署では医師の報告と照らし合わせ、空腹と老衰弱による自然死と判断した。なお、勝本さんに身寄りはないが、出生は大里郡寄居町で二十三歳の時まで折原村に在住したという記録が残っている』
唖然とする美重子に忘我の時が過ぎた。
震える手で山田の書簡をつかんだ。
「…この勝本修司という人は確かに若い時、殺人を犯したようです。警察はなにもおしえてくれませんでしたが、知人の祖父にあたる人がおぼえておりました。殺されたのは『ヨーゾー』とかいう廻船問屋の息子だったそうです」
美重子は宙を見た。
「修司」という知ることのない若者の面影がおぼろげに見える。お下げ髪のチヨとほほを寄せ合わせている。
…勝本修司はヨーゾーを殺した。チヨが汚され自失して故郷を去ったあと、ことのすべてを知った修司はヨーゾーを殺した。二人の人生を踏みにじったヨーゾーという男を許せなかったんだ…
山田明子の手紙が続いている。
「むかし、舟かたをしていたというお年寄りが『千本松のみずきりさん』という言葉を言いました。私にはそれがなんだかわかりませんが、うちの前にある弁天さまのような気がするのです。たしかに『しゅーじの死んでたみずきりさん』と言ったんです」
《しゅーじの死んでた『みずきりさん』…》
美重子は、愕然とした。
…みずきりさん…
チヨが死ぬ前に言った「みずきさん」は「みずきりさん」だった。人の名ではなかったんだ。祠だったんだ。あの弁才天の名前だったんだ。水斬り(みずきり)さんと、付近の百姓たちから親しまれてきた川水の静穏を願う祠の愛称であったのだ。
若い青田チヨと勝本修司の二人は千本松の「みずきりさん」を逢瀬の場所に決め、松風のそよぎにゆくすえを契った。天の川を眺めて指切りをしたんだ。そばには二人の名前が彫られた桜の木もあったに違いなかった。
美重子は窓外に目をやった。庭に満開する桜花を見た。それから、大きく息をはいて肩をおろした。
…チヨさん、逢えたのね…
美重子に、二人の恋人が天の川の激流を乗り越えて結ばれたのが分かった。「たなばた」こそが二人だけに通じる大切な思い出の「日」であったろうことも。
…七十年かかってしまったけど、やっと好きな人と一緒になれたのね…
(終)