2018年1月11日 第2号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

  六、 千本松

 滞在最後の朝、寄居の空はぬけるような青空であった。

 不破美重子はスニーカーに履き代え、遺灰壺をリュックサックに治めた。山田明子が釜伏山への道に詳しい若者の同行を促したが美重子は首を振った。大した山ではないし足には自信がある。一人だけでチヨに別れを言いたかった。

 風布川の渓流にそって歩き、小橋を渡ると急勾配の登山道になった。一歩登るごとに背後の景色が開けてきた。美重子はいっときを惜しむかのように背中のチヨに喋った。

「見える? チヨさん、ふるさとよ。チヨさんの故郷なのよ」

 荒川が曲がりくねって寄居の町なかを流れ、町をつつむ丘陵の緑に桜花のうすもも色がまだらに映えている。標高が増すにつれ榛名、赤城の山々が朝もやの上に浮かび上がってきた。

「チヨさんが想いつづけた景色よ。覚えてるでしょう荒川の光り」

 美重子はチヨが羨ましいとさえ思っていた。

「こんなにきれいな所だったのねチヨさんのふるさと。どんなに恋しかったでしょうね」

 寄居のあまりののどかさに、美重子はチヨが生涯、味わい続けたであろう郷愁の深さを思った。この光景を思ってどれほどの量の涙を流しただろう。

 早朝のためか登山道には一つの人影もない。

 尾根づたいの道が下って左に曲がると見上げるような岩壁が現れた。水の音がした。岩の割れ目から清水が湧いていた。大和水と呼ばれている釜伏山の泉であった。

「この水だったのねチヨさん」

 美重子に水を飲ませてもらった死辺のチヨは故郷の湧き水のことを言った。それはこの水のことに違いなかった。美重子は灰壺を出して壺の周りを濡らし、両手ですくって自分でも飲んだ。

「チヨさんの言ったとおりよ。おいしいわ」

 寄居一帯が見下ろせる所に来た。美重子は眺望がよく日当たりのいい場所を探した。持参したスコップで穴を掘り、壺のふたを取って灰だけを埋めた。

「チヨさん、幸せになるのよ。今度こそ、幸せに…」

 美重子は喋り続けた。間合いも入れずチヨに語りかけた。喋ることを止めると泣き崩れてしまうような気がしたのだ。

 チヨがふるさとに帰った。雨に濡れ、土がくずれて風で飛ぶかも知れない。しかしその方がいい。チヨは壺から出てふるさとに帰ったのだ。ふるさとの土に還ったのだ。

 涙を拭い美重子が帰ってくると、山田夫婦が外に出ていた。家の前で、リヤカーで野菜を売りに来た老婆と喋っていた。

「不破さん、不破さん…」

 美重子の姿を目にするや、野菜を抱えた山田明子が待ちかねたように言い寄ってきた。

「…あのね不破さん、むかし、この辺りから川までは一面の松林だったんですって」

 山田は、美重子が千本松という地名を探していることを知っている。寄居に着いてからずっと模索してきたのであるが見つからなかったのである。

「じ、じゃ、むかし『千本松』って呼ばれていませんでしたか」

 美重子は生つばを呑み込んでから野菜売りの老婆に訊いた。まだ挨拶もしてない。

「そうよなぁー。そういえば、そんなふうに呼んどった人もおったかなぁー」

「松が切られてそういう地名もなくなってしまったんですね。なにしろ七十年も前のことですからねえ」

 山田明子が言った。 

「寂しいところでなぁ」

 野菜売りの老婆が、川の流れに突き出る大きな岩を指さして言った。

「あそこから川に飛び込んだ人が何人もおった。」

「と・飛び込んだって、自殺のことですか」

 美重子の声が高まった。

「そうよ。あそこから身を投げるとすぐに沈んで死体が上がらなくなるだそうだに」

 上流の玉淀ダムができる前は水量がもっと多かったのだ。

「あの」と、言ってから美重子は口を噤んだ。 

 身ごもった青田チヨが「千本松」の岩から身を投げて自殺を図ったのは七十年前。六十を越して幾つにもならないと思われるこの老婆が知るはずはない。

(続く)

 

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