2017年2月23日 第8号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

「こいつぁーな、こいつぁトンファーっていうんだ。琉球の籾叩きよ。あたしの爺ちゃんが使ったもんなんだ。人間の骨なら、どこの骨でも粉々にできるんだよ。死にてえ奴からかかってきな」

 こうしたさんぴんを傷つけるのはリュウの流儀ではないが、抑えきれない感情で燃えている。

「む!」

 リュウのうしろにまわった大柄な男が無言で飛びかかった。ドス先が、リュウの背中に吸い込まれた。その瞬間、リュウの腰がくねった。「よーー」という高い声と共に杖が蝶羽のように乙の字を描いたのだ。

「ウーギュー!」

 男が地に崩れ落ちたのは、リュウの方に構え直したあとであった。

 四人の男が目を剥いている。眼前で起こった光景がなんなのか判らない。一瞬、女の身体が宙に浮いた。棒がまわった。鶴が羽ばたくような動作であった。地にのたうつ相棒の悲慟が、この世のものではなかったのだ。

「来んのか来ねえのか!」

 リュウは、上げた右腕で杖を左右にまわしながら、他の男たちにどなった。

「ヤロー、女だと思って加減してりゃいい気んなりゃがって! …斬れ! 叩っ殺せ」

 仙次郎がどなった。四人がリュウを取り囲んだ。源六は後方に離れてすくんでいる。

 その時、リュウは杖を脇下に収め、あらぬ方向に顔を向けて動くことをやめた。目を細め、心頭を鎮めて四つの気息を感じ取ろうとしたのだ。

 すでにそれぞれの呼吸が乱れている。男たちは、激しく心臓を鳴らしながら、宙を向くリュウの方ににじり寄ってきた。

 一瞬、空気が凍った。激しい吐気が起こった。

「ヤロー!」「トオー!」「ターッ!」

 男たちが四方から襲いかかった。

「ヨー!」

 リュウの腕が左右に開いて真上に上がり、まるで、踊りを舞うかのような動作をした。

 鈍い音がかさなった。

 四人の男が地に落ちた。

「ウィーウウーー」

 それぞれが、断末魔のうめきをあげてのたうっていた。

 どこかに手傷を負ったのか、リュウの左半身が血に染まっている。

 浪人が刀を抜いた。

 さすがのリュウも戦慄を感じた。白刃を見ないようにして、男の気息を感じ取ろうとした。

 と、その時、リュウがチッと舌を鳴らして肩を落とした。

「馬鹿にすんねえおさむれー」

 抜き身の大刀を両手にしているが、浪人に覇気というものがない。死相が漂っている。

 リュウは出血の激しい左肩を押さえてぞうりを探した。

「ま、待て」

浪人が声を出した。

「あたしゃやだね」

 リュウが身体をまわして言った。

「冗談じゃねえよ。さむれえならさむれぇーらしく、てめえの腹ぐれえは切れんだろ。もっともその錆びた代物じゃ、ちょいと骨かも知れねえけんど」

「トォー!」

 浪人がリュウの背中に斬りつけた。リュウは左足を引くと右足を軸に一回転した。カーンと鳴って白刃の半身が飛んだ。

「迷惑なこった。あたしゃ忙しいんだ。てめえなんかの身の振り方まで、手伝っちゃいられねえんだよ」

 リュウは刀身をなくし立ちつくす浪人から顔を離した。源六をうながして歩き出した。  

 

   八

 リュウと源六は墓地を出た。二つの背中に陽が当たった。

 もう六つどきに近いのか、小野家の門前に人の群ができている。人を喰ったというくまおとこを見るために、あちこちの村から出てきた老若男女であった。

 二人が近づくとドッと嘆声が上がった。聞き込みをした異貌の女とかみやの手代源六との組み合わせが理解できない。その上、女の半身が血に染まっているのだ。

 玄関に入ると、三人の飯炊きとフサ、それに小野籐左右衛門が、それぞれの表情で二人を迎え、それぞれの表情で反応した。

 フサは血に染まったリュウの姿に眉をしかめたが、その笑顔を見て笑いを返した。そして、自らは左腕を袂に入れるや、もろ肌を脱いで左乳房をあらわにした。

「痛かったわー」

 フサの乳房に傷がある。一目で判る人間の歯形は、赤黒く食い込んで乳房全体が紫色に腫れ上がっていた。

「血がすごく出たのよ。まっこと喰い殺されるかと思ったわ」

 フサが自らの乳を誇示して笑った。

 小野籐左右衛門はフサの乳房を噛んだのだ。フサを抱き、その体内で極みに達したとき、籐左右衛門は我を忘れて女の肉体にかぶりついたのだ。いつものことであったのだ。

「せんじ!」

 小野籐左右衛門が細い目を剥いて仙次郎を探した。そして、仙次郎がどこにもいないのを知ると、大きくしりもちをついて床に転がった。

 梅雨はあがったのだろうか、外からの陽光がまぶしい。「きたぞー」という仕置き行列到来の声が門外の群衆から起こった。

(終)

 

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