2019年12月17日、日本カナダ商工会議所恒例のクリスマスパーティーがバンクーバーのロイヤル・バンクーバー・ヨット・クラブで開催され、商工会議所会員、非会員合わせて65人が参加。同会議所理事会が練り込んだ企画とチームワークのもと、参加者同士の活発な交流が生まれ、冬の寒さを忘れる熱気に満ちた会となった。会には、羽鳥隆在バンクーバー日本国総領事も出席した。
2020年1月1日 第1号
ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市在住の高尾真人さんが代表を務めるA to(エイトゥ/所在地 東京)では、スポーツ奨学金を得てカナダのカレッジで英語を学びつつ、スポーツのスキルも磨くスポーツ留学のサポートを主な業務としている。高尾さん自身の経験と人脈を生かして、日本人のスポーツ留学をサポートするだけでなく、カナダのユースチームの日本遠征も手がける。今年開催される東京オリンピックでは組織委員会で働く予定でもある。活躍の場を広げている高尾さんに、現在の仕事に関することや今年の抱負を聞いた。
バンクーバー・ホワイトキャップスとパートナーシップ契約を結んだ
■現在のお仕事内容について教えてください。
「(いまの仕事を始めた)目的はカナダと日本をスポーツで結ぶことです。具体的には、スポーツをする日本の若者のカナダ留学の手伝いや、カナダのスポーツチームの日本遠征の手伝い、プロを目指す選手や現役を続けたいと考えている選手をサポートするといったことが主な業務です。カナダへのスポーツ留学では、日本の学生がスポーツによる奨学金を得るためのサポートをします。また、バンクーバー出身の女子サッカー選手を日本のなでしこリーグに紹介したりもしました。いまは、ビクトリアの女子サッカーのユースチームが、東京オリンピックの年に合わせて日本遠征をする手伝いもしています。小学生くらいの子どもたちのチームですが、日本のチームと試合や交流をしたり、観光、オリンピック観戦をするというものです。サッカーに限らず、バレーボールやバスケットボールをしている人などのスポーツ留学のサポートもしています。これまでに、カーリングの選手がこちらで活動するためのお手伝いをしたりということもありました。
その他、バンクーバー・ホワイトキャップスと公式に契約を結んだうえでお仕事をしていますし、ビクトリアのハイランダーズFCとJリーグのいわてグルージャ盛岡との友好協定を結ぶお手伝いをしました」
■現在のお仕事を始めることになったいきさつは?
「私は小さい頃から大学までサッカーをしていたのですが、プロの道を諦めて他の方向性を探ってきました。大学を出て就職ということも考えたのですが、留学してMBA取得を目指すことにしました。その留学先がバンクーバー島のナナイモだったんです。ここに来る前は、カナダとサッカーというものがあまりつながっておらず、ここでサッカーをしようという気持ちは全くなかったんです。ですがこちらに来てみたら、子どもたちがサッカーなどスポーツに触れあいやすい環境が整っていることに気がつきました。さらに、スポーツでの奨学金を得てカレッジで学ぶという方法があることも知りました。
自分もずっとサッカーをしてきましたし、(Jリーグの)川崎フロンターレでコーチとしても活動したこともありましたので、スポーツ留学が日本の若い選手にいい影響をもたらすのではないかと考えました。一方、カナダではまだサッカーは発展途上だと思いますので、日本の選手育成の力やコーチングの力が、いい影響を及ぼすのではないかとも考えました。(ナナイモで)大学に通っている時に、日本の大学で同じサッカー部に入っていた知人がスポーツ奨学金を得てカレッジに留学するサポートをしたんです。それがいまの仕事につながっていきます。
スポーツをすることで周りの環境がすごく変わるということを、自分も身をもって体験しています。(カナダにスポーツ留学をすると)周りはネイティブスピーカーだらけという、語学学校に通っているだけではなかなか得がたい環境となります。スポーツで関わることで、こうした好条件の環境に身をおけるということに気づかされました。自分が関わってきたスポーツというものに、こんな力があるんだという新しい発見でしたね。こうした素晴らしい経験をさせてくれるサッカーというものに対して自分ができることは何かと考えると、サッカーをはじめスポーツでカナダと日本をつなぐことに貢献することだと思ったんです」
■お仕事されるうえでの苦労は?
「やはり、ひと相手の仕事なので、コミュニケーション不足だったり、ちょっとしたすれ違いや行き違いが起きてしまうことがあります。自分の経験がまだ不足しているということもあるかと思います。ただ、川崎フロンターレでの前職は、ファンの方とのお付き合いがとても大事になってくる仕事だったので、ひとを相手にする仕事にはある程度慣れていると思いますし、それが今の仕事に生かされているとは思います」
■この仕事の魅力とは?
「留学生の方から、スポーツをすることによって英語も上手になり、カナダに来て良かったと言ってもらえることがうれしいですね。今年はカレッジのサッカーの5チームに日本人学生の留学をサポートしましたが、その5チーム全部が全国大会に出たりとか、リーグのMVPを取った人もいたりといったニュースを聞いてうれしかったですね」
■今年開催される東京オリンピックの組織委員会で働くことが内定しているとのことですが、どのような業務を担当されますか。
「オリンピックの会場のひとつで、広報担当の方たちのお手伝いをするということになっています。IOC(国際オリンピック委員会)から来る海外の方と、日本のメディアとをつなぐ橋渡し的な仕事ということで、メディアの運営が円滑に進むように通訳、コミュニケーションを両者のあいだに入って取るというようなことだと聞いています。
オリンピックおよびパラリンピックの前後も含めて3カ月ほど日本に滞在します。一生に一度できるかどうかという仕事ですので、光栄に思いますね。前職の元上司の推薦でこの仕事をする機会を得たのですが、その元上司にも期待していただいていると思うので、それに応えられるようにしたいです」
■オリンピックに携わるということは、まさしく今の仕事の目的とつながるようなことですね。
「本当にありがたいお話ですし光栄です。与えられたことをしっかりとこなし、大会がスムーズに運営できるように貢献したいです。カナダと日本をスポーツで結ぶという目的のもとにやってきて、このような機会をいただけたことは、自分が目指していることにも通じると思うので、この経験を元にカナダと日本のスポーツに関わる方のために還元していきたいなと思っています」
■今年の目標や抱負を聞かせてください。
「昨年末、永住権が取れたのでやっと本格的に進んでいけるという感じです。また、2020年は東京オリンピックという大きなことが起きる年なので、それに直接関わることは貴重な経験となると思います。
2020年1月に向けて、ビクトリアで日本式のサッカースクールを開く予定で準備を進めています。カナダにおいてサッカーをプレーする環境をもっと良くしていきたいですし、それによって日本にもいい影響が出ることは間違いないと思っています。サッカースクールでは、これまでに自分がサポートした学生をコーチとして迎えるということも考えています。現地の日系の子どもたちは日本語を話す機会が不足しているので、そのような子どもたちに対して日本語でサッカーを教えること、現地の子どもたちに日本のしっかりした技術や礼儀といったものを教えていく、この2つを軸にしていきたいと思っています。スクールで教える礼儀というのは、挨拶、自分の荷物をきちんと管理する、相手の目を見て話す、時間厳守、といったこと。こちらでコーチとして教えている人たちが悪いというわけではないのですが、日本のチームを見てきた者からすると、そういった部分があまり大切にされていないように思えます。それで礼儀といったところを教えていきたいなと。技術を教えるだけではなく、こうしたことも大切なポイントだと思うんです」
■技術だけでなく礼儀を教えるというのはいいことですね。そういうスクールに入れたい保護者も多いんじゃないでしょうか。
「地元のサッカークラブの方たちと協力しながら開催しようと思っていて、いろいろお話しているんですが、礼儀を教えるという部分にすごく興味を持たれているのが分かりますね。
ですから手ごたえはあるなと感じます。
いろいろな人との付き合いでここまで来れたので、これからもそういったものを大切にしていきたいです。日本からのスポーツ留学やその他のスポーツビジネスやスポーツ医療の研修のお手伝いも、自分を信用していただいたうえで依頼していただけるように頑張っていきたいと思っています」
(取材 大島多紀子 写真提供 高尾真人さん)
ビクトリアのハイランダーズFCとJリーグのいわてグルージャ盛岡による友好協定締結。この提携のアレンジにも貢献した
バンクーバーアイランド大学のスポーツ留学生たちと(左から2人目が高尾さん)
2020年1月1日 第1号
Canada's Ballet Jorgen(以下CBJ)は、21世紀の観衆が身近にバレエを感じられるよう、カナダのアイデンティティを大切にバレエ作品を公演しているバレエ団。トロントがベースの同団には、現在4名の日本人バレエ・ダンサーが在籍している。日本を離れカナダで活躍する皆さんに話を聞いた。
Q. 1 今までのバレエの経歴と、海外のバレエ団で踊っている理由は?
Q. 2 このバレエ団での活動は?
Q. 3 今回の公演、『赤毛のアン』での配役と役作りは?
Q. 4 バレエ・ダンサーとしてのこれからの抱負は?
齋藤浩人(さいとうひろと)さん
Q. 1 7歳の時に父親に連れられ地元・神戸の貞松浜田バレエ学園を訪れ、バレエを習い始めました。中学校卒業後までは上記のバレエ学園で学び、1996年の春から1999年の初夏まで英国イングリッシュ・ナショナル・バレエ・スクールに留学、1999-2007年まで香港バレエ団に所属して、2007年よりCBJで踊っています。子供の頃からの夢だったプロのバレエ・ダンサーとして海外で働くことができて幸せです。
日本ではダンサーという仕事に安定性がなく、所属している団体が公演のチケットをダンサーにチケット・ノルマとして課していたり、男性ダンサーの多くは数あるバレエ学校の発表会出演での謝金が主な報酬となっているのが現実です。『新国立劇場』や『kバレエ』のようなきちんとした団体も増えましたが、未だに上記のような活動をしなくてはならない場合がほとんどだと聞いています。カナダを含む海外では、ダンサーが職業として確立されています。競争の激しい狭き門ではありますが、バレエ団に所属すれば賃金が出て好きな踊りに集中できる恵まれた環境が与えられます。
Q. 2 2007年よりCBJで活動しています。プリンシパル・ダンサー(主役級を踊るダンサー)として香港バレエ団から移籍して10年間ほど第一線で踊ってきました。3年前にバレエ・マスター兼ダンサーとして活動を始めて、ほとんど主役を踊ることはなく、キャラクター・アーティスト(主に助演役を踊るダンサー)として活動しています。バレエ・マスターとして、ダンサーのスケジュールやリハーサル等の管理。また、同団のダンサーを教えたり、バレエで踊る場面のリハーサルを監修します。今回の作品に関しては、まずはダンサー全員が音通り、振り付け通りに踊れること。そして、振付家である芸術監督が求める一つ一つのステップに対する音のシンコペーションの取り方や、身体のポジション等も仔細に入ってリハーサルをしました。公演ツアー中は、訪れるコミュニティーにあるバレエ学校等にマスター・クラスを教えたりもしています。
Q. 3 今回の作品ではアンを引き取ることになるマシュー・カスバートおじさんの役を踊っています。原作を読みこの役が大好きになったので、スッと役に入っていけました。チャレンジは、60〜70代のおじさん役なので、キビキビと動けないこと。姿勢や歩き方、しぐさなども常に役になりきることです。意識していないと、どうしてもいつもの調子で動いてしまうので、それがとても難しいです。舞台の度に自分が好きなキャラクターになれるのは楽しみのひとつです。毎回の舞台を飽きないようにするために、日によって少し変化をつけるよう心掛けています。
今回の作品はとても演劇的な部分が多かったので、ドラマ・コーチが数多くリハーサルを担いました。『赤毛のアン』という広く知れ渡ったストーリーをバレエ作品で演じるので、いかに原作の内容を伝えることができるか。また、同作品のミュージカルを基に創られた作品なので、芸術監督やドラマのコーチは、原作とミュージカルの相違点等も意識した上で今回の作品を仕上げました。
Q. 4 バレエ・ダンサーとしての抱負は、けがをしないで40代に入ってもしっかりと踊りたい、また、踊れる身体をキープしたいです。また、同団のダンサーたちの成長や、公演の成功、この団体の活動の素晴らしさをカナダの人々だけではなくて、日本やヨーロッパなどにも広げていきたいです。特に今回の演目の『赤毛のアン』は日本でもとても人気のある作品なので、日本にも公演ツアーで行ければいいなと願っています。
原作のファンの方はもちろん、そうでない方も、劇場に足を運んで『赤毛のアン』をぜひ、ご覧いただきたいです。アンのように喜怒哀楽が激しく、そして、心温まるcuteなバレエ作品に仕上がっています。
齋藤浩人さん
アンと妹のマニラ、マシューおじさんに扮する齋藤浩人さん(左)credit:Cylla von Tiedemann
松井百香(まついももか)さん
Q. 1 8歳の時、ダンスを習いたい姉に付いてバレエ教室に行ったのがきっかけでバレエを習い始めました。福岡の加藤由紀子バレエ教室でバレエを始め、17歳からロシア、カナダで研修しました。バレエ・ダンサーとして踊れるチャンスは海外の方が多いし、いろいろな作品や踊りのスタイルに触れたかったので、19歳でCBJで働き始めました。
Q. 2 今年で働きだして6年目になります。今シーズンは、『赤毛のアン』という新作の制作に関わり、有名な著作を題材に新しいバレエ作品を生み出す貴重な経験をしました。とても忙しい毎日ですが、充実したリハーサルをしています。
Q. 3 主人公アンのセカンド・キャストとしてリハーサルをしています。とても感情豊かで想像力の長けたアンの役を演じるので、素の自分と重ね合わせて役を作っていくいつも通りの方法と少し違うアプローチで役作りをしています。本をじっくりと読み込み、自分のアン像をイメージしながら踊るようにしています。2時間のバレエ作品の中で、アンの成長や、マシュー、マリラ、アンの一家の家族の絆が深まっていく様子がしっかり伝わるように頑張ってリハーサルをしています。
Q. 4 バレエのテクニックはもちろん、お客様がまた観たくなるような、そして、家に帰ってからもバレエの素敵な余韻を楽しんでもらえるような、人の心に響く踊りをするダンサーを目指しています!
松井百香さん
『くるみ割り人形』のフラワーに扮する松井百香さん credit:Cylla von Tiedemann
藤原朱里(ふじわらあかり)さん
Q. 1 3歳の時にバレエ教室の発表会を観て感動し、バレエを習い始めました。中学三年生の時に出場したコンクールで優勝し、アントワープのバレエ学校へ奨学生として入学しました。その後、紹介でトロントのナショナル・バレエ・スクールへ転入し、卒業後CBJに入団しました。
日本の繊細なバレエに比べて海外のダイナミックなバレエに魅力を感じ、今はカナダで踊っています。特に同団のダンサーの演技の見せ方は、とても勉強になっています。カナダでは日本との文化の違いを感じながら、さまざまな要素を吸収し、バレエに生かしています。
Q. 2 2016年の9月からCBJに所属しています。同団は毎年カナダ全土の都市を巡る公演ツアーを催しており、アメリカへも行きました。徐々にいろいろな役に抜擢されるようになってきていますので、今後もさらに成長したいです。
Q. 3 アンの親友のダイアナを演じます。踊りと演技の両方において、アンとの性格の違いや、人物的背景の違いを表現できるように心掛けています。時には芸術監督や共演者と相談しながら役を作り込んでいく作業はとても楽しいです。
Q. 4 表現者として観に来て下さったお客様の記憶に残るようなダンサーでいたいです。CBJは毎年バンクーバー地域でも公演しておりますので、一度ご覧いただけるとうれしいです。
藤原朱里さん
アンの親友のダイアナ役に扮する藤原朱里さん(右) credit:Cylla von Tiedemann
田中Erina(たなかえりな)さん
Q. 1 ダンサーだった母はバレエを習うために日本からアメリカに移住しました。アメリカで生まれ育った私は、5歳の時にタップ・ダンスを習い始めました。私の姿勢がダンスを習うことによって整ってきた8歳の頃、バレエ・クラスに通うようになりました。15歳でニューヨークにあるSLKバレエ学校に入り、2015・16年に英国のナショナル・バレエ学校の交換プログラムに合格。その後、アメリカン・バレエ・シアター、ボリショイ・バレエ、シンシナティ・バレエで学び、オレゴンのユージン・バレエの研究生を経て2019年よりCBJに入団しました。
Q. 2 私はアメリカで育っているので、国外に出て新しい環境に身を置いてプロのダンサーとして踊りたかったのです。CBJのあるトロントは、私の故郷であるニューヨークにも近くて幸運です。このCBJは皆さんとても友好的で、私の入団を歓迎してくれました。カナダの各地を公演ツアーで回れることも大きな魅力です。
Q. 3 私の大好きなアンの友人のジェーン役に扮します。女子学生として楽しい様子を表現するために、たくさんのエネルギーを必要とする役です。私はたくさんのブロードウェイ・ショーを見て育ったので、演技をすることにとても興味を持っています。
Q. 4 多くのバレエ・ダンサーが夢見るように、主役を踊るプリンシパル・ダンサーになりたいです。『ロミオとジュリエット』『眠れる森の美女』のような作品の主役を踊ることが夢です!
田中Erinaさん
ドン・キホーテのキトリに扮する田中Erinaさん credit:Colton West Photography
ローワーメインランドの『赤毛のアン』バレエ公演
チケット: www.theactmapleridge.org/contact
Ticket Centre 電話: (604) 476-2787
■2月12日(水) 7:30 pm, 会場: Main Stage: 11944 Haney Place Maple Ridge
■2月14日(金) 7:30 pm, 会場: HUB International Theatre in Chilliwack Cultural Centre, Chilliwack
■2月16日(日) 3:00pm, 会場: Grosvenor Theatre in Kay Meek Arts Centre, West Vancouver
(取材 北風かんな)
2020年1月1日 第1号
神奈川出身でプロのイラストレーターでありデザイナーだったひねさんは、国際結婚後に数度の海外での引っ越しを経てバンクーバーへ。ニードルフェルティングを始めてからミニチュアコラージュ、そして、現在は日本のこぎん刺しの技術を自分流にアレンジしたこぎん刺繍ブローチや海洋生物のソフトスカルプチャー作品を制作している。オンラインを介して国際的に活躍するひねさんに話を聞いた。
ミニチュアコラージュ「Playful Crafting」
Q1. カナダに来る前の経緯は?
美術大学で日本画を専攻ののち、東京でイラストレーター/デザイナーとして勤務後、翻訳者のカナダ人の夫とローマ、パリ、NYに移り住み、2006年からカナダのバンクーバーに住んでいます。(https://hinemizushima.com/about-me)
Q2. カナダに来たきっかけは?
バンクーバーに来る前は、ニューヨークのブルックリンに住んでいましたが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、グリーンカードの取得やビザの更新も容易ではなくなってしまったため引っ越しを決めました。私がとても寒がりなので、夫とカナダ国内で寒くない都市を探しました。当時、「世界で最も住みやすい街」に選ばれていたバンクーバーが良さげだったので、息子と共に引っ越してきました。人がフレンドリーでびっくりしました!
Q3. 渡加してから現在までのお仕事の経緯や現在の活動は?
引っ越し当初はまだイラストレーターだったのですが、ある日たまたまネットで見つけた素人向けの「ストップモーションビデオの作り方」が面白そうだったので、好きなNYのバンドのパロディミュージックビデオ(相当ヘタでした)を作ってみたところ、直後にそれを見たバンド本人から仕事の依頼を頂き、それがきっかけで今のような立体作品を作るようになりました。
バンドの2本目のビデオ制作のために、必要に迫られてニードルフェルティング(羊毛フェルト)技法を取り入れたところ、ハマってしまい、以後ずっと羊毛メインで作品を作って、主にアメリカの展覧会参加や、クライアントからの依頼仕事や、自分のEtsyオンラインショップ(www.hine.etsy.com)で販売をしていたのですが、5年ほど前にニードルフェルティングのやり過ぎで肩と上腕をひどく痛めてしまい、ニードルを続けられなくなりました。
ちょうどその頃、趣味で作っていたミニチュアコラージュ(ビデオ制作のためにミニチュアを沢山持っていたので)でのお仕事の依頼(https://hinemizushima.com/book-cover-kazoku-theatre)を日本の出版社から頂いたのがきっかけで、だんだん他の技法や素材にも手を出せるようになりました。
このミニチュアコラージュ技法では、去年New York Timesのカナダ向けウェブキャンペーンのお仕事もしました(https://hinemizushima.com/new-york-times-web-campaign-miniature-collages)。
2年前母親の手術入院で急遽帰国した際、時間を持て余し何か作りたくてうずうずしていたので、こぎん刺しブローチキットを買って試してみたところ、これまたハマってしまい、すぐに自分流にアレンジしたこぎん刺繍ブローチを作り初めて、直後にアーティストの友人から東京でのブローチイベント(https://hinemizushima.com/koginzashi-embroidered-brooches-part-2)に誘ってもらい、それがきっかけにもなり今も続けて制作しています。
去年は、そのこぎん刺繍技法で、前出のNYのバンドのミュージックビデオを作りました(https://hinemizushima.com/video-lake-monsters-music-by-they-might-be-giants)。こちらは、年末の1ヶ月間、ドイツのアート系ムービーシアターでも、音楽関係の映画プログラムの前に上映されました。
つい最近は、表参道で1ヶ月間個展を開催しました。作品はすべてオーナーさんも決まり、沢山の方に見てもらいポジティブな反響がとても嬉しかったです。
近年は、こぎんブローチと、様々な素材を使いながら主にフェルトを縫って制作する海洋生物のソフトスカルプチャー作品がメインで(https://hinemizushima.com/projects)、アメリカより日本の仕事が増えています。
Q4. お仕事を通して北米と日本で感じる相違点を教えて頂けますか?
日本は手芸をやってる方の年齢層が厚く、とても多いような気がします。手芸屋さんがたくさんあり、手芸材料の質が良く安価(特にフェルト)で、便利なクラフトツールもたくさんあるので、帰国の度にたくさん買い込んでしまいます。
色々な国のハンドメイド作品を買ったり見たりしますが、一般的に日本の方は器用で仕事が丁寧だなと思います。ただし、すごく丁寧に時間をかけて作っているのに価格が安すぎでは?といつも思ってしまいます。
装飾リボンやチロリアンテープやボタンなどの素材は、バンクーバーに良いお店が1軒あり、種類も多く安いです。毛糸も手染めや手紡ぎの良いものが手に入りやすいです。
12年近くEtsyオンラインショップをやっていますが、以前はアメリカのお客さんがほとんどだったのですが、最近は日本の方のほうが多くなってきています。カナダは、アメリカに比べるとEtsyのショップ数もとても少なく、私のお客さんもカナダの方はごく少数です。
Q5. これからのお仕事面での抱負をお聞かせ頂けますでしょうか?
とにかく糸や毛糸の素材が大好きなので、西洋刺繍やニードルポイントやパンチニードルもできるようになりたいです。色々な素材や技法を知ることで、結果的に表現の幅も広がってくるので面白いです。展覧会のための作品制作も増やしていくと同時に、オリジナル雑貨も販売していきたいです。
Q6. バンクーバー新報の読者に一言お願い致します。
よろしければ、私のInstagram: @sheishine をフォローして頂けると嬉しいです!作品写真を沢山載せています。
水島ひねさんのウェブサイト: www.hinemizushima.com
(取材 北風かんな/写真提供 水島ひねさん)
個展に出品したソフトスカルプチャー「子蛸とゴマフチンアナゴ」
個展に出品したソフトスカルプチャー「解剖錦鯉」
こぎん刺繍ブローチ
仕事部屋でキノコ作品を持つ私
仕事部屋の机と猫
作業中の私
2020年1月1日 第1号
羽鳥隆在バンクーバー日本国総領事
ー赴任されてから1年が過ぎましたが、当初とバンクーバーの印象は変わりましたか。
「天気や気候が素晴らしくて街もきれいというところと、人がみな温かいというところが着任当初の印象でしたが、1年経ってその印象は全く変わっていません。むしろ、1年間を通していろいろな季節のバンクーバーを知り、気候の良さや街の美しさをさらに実感しましたし、大勢の人に会うことによって本当に温かい人ばかりだと印象を深くしました」
ー2019年を振り返って印象的だったことは何ですか。
「着任直後は、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州政府の閣僚との関係を構築するためビクトリアに何度か訪れ、ホーガン州首相はじめ9人の州政府の大臣に会っています。またバンクーバー、リッチモンド、バーナビー、コキットラム、ノースバンクーバーといった各自治体の市長にご挨拶したり、公邸にお招きしたりしています。(メトロバンクーバー以外の地域としては)2月にホワイトホースに行きました。最近では、カムループスやその近くのアシュクラフトという村や、ホープ地区を訪れました。(バンクーバー島では)ビクトリア市長にお会いしたり、レイクカウチンやシドニーという町を訪れたりしました。
令和という時代が5月1日から始まりましたし、10月22日には即位の礼が行われ、新しい時代の始 まりについて折に触れてお伝えしてきました。令和が始まった際には総領事館で記帳を受けつけました。BC州政府からはラルストン雇用・貿易・技術大臣がお見えになりましたし、他国の総領事の方々や一般の方からたくさんのお祝いの記帳をいただき、東京へ送りました。また、日本とカナダの友好90周年という機会に、高円宮妃殿下がカナダ東部からバンクーバーまでご訪問され、各地でいろいろな行事に参加されました。バンクーバーでは日系センター(日系文化センター・博物館)の日系祭りに参加されたり、日系人の皆さんと会食されたり、ビクトリアへもいらっしゃいました。新しい時代が始まるということで、皇室から妃殿下をお迎えできたことも、交流という面で非常に良いことだと思いました。
1年間を振り返って感じたのは、自治体同士の交流が多いということです。昨年は盛岡市の市長が姉妹都市のビクトリア市を訪れたり、交流の事業も多数ありました。軽井沢町長がウィスラーを訪れ、交流記念の行事に参加されました。また、アシュクラフトは北海道美深町、カムループスは京都府宇治市、ホープは静岡県伊豆市、レイクカウチンは北海道伊達市、シドニーは岡山県新見市とそれぞれ姉妹都市関係を結んでいます。高校生がお互いの市に1年おきに訪れるなど、若い人たちの交流も盛んです。また、カムループスには日系文化センターがあるんですが、何年か前に火事で焼けてしまった時には、宇治市が再建費用の一部を寄付されたと聞いています。このようにいろいろなところで、交流が盛んに行われていることに気づかされました。
ホープ郊外にタシメという、日系人が第2次世界大戦中に強制収容されていたキャンプの跡地があります。ここで一部の建物を保存して博物館をつくっている方がいらっしゃいます。カナダの方が日系人の歴史を保存したいと活動されていることに感銘を受けました。また、アシュクラフトは町中にモザイクの壁画が飾られているんですが、(10月初めに)新しい壁画のオープニングセレモニーに出席しました。日系人との和解がテーマとなった壁画を、村に住むアーティストが中心となってつくられたそうです。地元の皆さんが日系の歴史と関わっていこうとする気持ちがうれしいですね。その他にも、ビクトリアには日系人の慰霊碑があるんですが、地元の日系人の方たちとカナダの方たちが慰霊碑をつくったり、古い日系人の墓地が分散しているのを集められたりといったことをされているのも、非常に印象深かったです。そういった歴史を保存することを、日系の方以外でも参画していただけることはとてもいいことだと思います。そして、こうしたカナダの方たちの善意に対して、我々でもご支援できることがあればという思いを新たにしました」
ー総領事としてまたは総領事館として、的を絞っていきたいとお考えの分野はありますか。
「自分が総領事としてこういうものを残した、というレガシーには私はあまり関心がないんですね。やはり地道に地元との交流をサポートしていくことが大事だと思っています。さきほど申し上げた姉妹都市関係とか、管轄内でもまだ訪れていないところがたくさんありますので、これからいろいろな市町村をうかがって、日本との関係について市長さんなどと意見交換していきたいと思っています。何か機会があれば我々が出席させていただくといったご支援をしていくなどですね。他にも、日本から訪れる学生さんたちとお会いするとか、行事などを公邸で開催したりといった形で支援したいです。こういったことを着実にしていくことが大事だと思っています。
日本の文化をもっと知ってもらう努力をしていくことも大切だと考えます。総領事館では学校を訪問して日本文化を紹介するスクールビジットをおこなっています。箏、踊り、着付け、書道、華道、和食といった日本の文化に関わっておられる方が講師やボランティアとして参加して、総領事館の職員と一緒に学校を訪れています。この活動を広げていくことで、日本の文化や日本について関心を深めてもらいたいと思います。
スクールビジットに関して館員から、『子供たちだけでなく先生方からも好評をいただいておりますし、また来てくださいという声をよくいただくのはうれしいです。和食など一見して何か分からなかったりすることもあります。低学年向けにはクイズ形式にしてみたりと、年齢に合わせて形を変えて紹介しています。毎回アンケートをお願いしてるのですが、学校によっては生徒一人ひとりから感想を書いてもらったり、レターサイズいっぱいに書いてくれる子も多く、やっていて良かったなと思います』といった報告を受けてます。こうしたスクールビジットなど総領事館の活動はSNSで紹介しています。今後も、フェイスブックやツイッターといったSNSでいろいろと発信していきたいと考えています。
また、総領事館の仕事としてはビジネスの支援もあります。例えば日本の製品やサービスなどをカナダに紹介したいと思っても、国や州の規制があってスムーズにできないといった声があれば、州政府にその要望を届けて改訂をお願いするといった働きかけもしていきます」
ー2020年の抱負をお聞かせください。
「これまでに申し上げたようなことを着実にやっていくことはもちろんですが、今年は東京オリンピックの年なので、それについての発信もできればと思っています。各所でスピーチやご挨拶をする機会がありますので、そこでオリンピックの紹介をするように心がけるといったことです。昨年は日本でラグビーのワールドカップが行われ、大成功だったといえるでしょう。大勢の方が見に行かれたし、それぞれのチームをお迎えするときにその国の国歌を子供たちが歌ったりといった、日本流のおもてなしが大成功したのではないでしょうか。オリンピックもきっと盛り上がると思いますね。
日本で生まれて新移民として移住された日本人の皆さんと、こちらで生まれ育っている日系人の皆さんというのは文化的背景、状況や経験してきたこと、コミュニケーションの面でなど、いろいろな違いがあると思います。日本から移住されてきた方たちにも、源流を同じくする日本の文化や歴史を伝えていくという観点で、日系人の歴史に関心がある人たちはいると思うんです。そういう人たちを結びつけるような、交流の場を設けるといったこともやっていけたらと思っています」
(取材 大島多紀子)
2019年8月31日、日系祭り開会式であいさつをする羽鳥隆総領事。今回の日系祭りにはカナダ各地を訪問されていた高円宮妃久子さまも臨席された (写真提供 Manto Artworks)
2019年10月5日、アシュクラフト村日系カナダ人関連モザイク除幕式に出席した羽鳥隆総領事 (写真提供 在バンクーバー日本国総領事館)