2018年9月20日 第38号
ブリティッシュ・コロンビア州リッチモンド市で、制限速度50キロのスティーブストン・ハイウェイを、その約3倍の時速134キロで走行していたドライバーが、警察に捕まった。
この違反が取り締まられた具体的な場所と時間は明らかにされていないが、リッチモンド連邦警察(RCMP)が13日朝にツイッター上で公表した。それによると、ドライバーは映画の上映開始時間に間に合わせようとして速度を上げてしまったと話していたという。
これが事実かどうかは別として、ドライバーには罰金483ドルが科せられたほか、乗っていた車も7日間の押収となった。
2018年9月20日 第38号
ナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)の複数のチームでプレーしていたオンタリオ出身の元ホッケー選手ティム・ブレントさんが自身のツイッターとフェイスブックで、狩猟で仕留めたグリズリーベア(ハイイログマ)と一緒に写っている写真を掲載して批判の声があがっている。
各メディアで取り上げられたのは17日だが、ブレントさんが写真を掲載したのは今月10日。さらに12日にはヘラジカと一緒の写真も掲載している。
これに対してソーシャルメディアでは批判の声が強く、中には脅迫メッセージもあったとブレントさんは主張。ツイッターに報告したが脅迫として扱われなかったとツイートしている。14日には、狩猟を掲載すると、こうしたツイートを常に受けると不満をぶつけている。
ブレントさんが狩猟をしたのはユーコン準州。同準州政府によると同準州での狩猟シーズンは、グリズリーベアが8月1日から11月15日まで、ヘラジカが8月1日から10月31日までという。今回の狩猟は狩猟シーズン内であり違法ではないとしている。
自然保護活動家や動物愛好家などからは、狩猟を伝統として愛好する人々への批判の声があがっている。
2018年9月20日 第38号
ブリティッシュ・コロンビア州内陸部の町ペンティクトンから、アルバータ州エドモントンを目指していた4人乗りの小型飛行機が消息を絶ったのは、昨年11月25日のことだった。搭乗していたのは、パイロットのドミニク・ネロンさん(28歳)と、ガールフレンドのアシュレー・ボーゴートさん(31歳)の2人。その後の大規模な捜索にもかかわらず、小型機の行方はわからなかった。
そんな中、その飛行機の残骸が10日、アルバータとの国境に近いグレーシャー国立公園内で偶然発見された。墜落現場は深い森の中だが、公園内を通っている高速1号線からあまり離れていない場所だった。
現場検証を行ったレベルストーク連邦警察(RCMP)によると、機体は大破しており、墜落時に極めて強い衝撃を受けたことを物語っていた。また遺体と思われるものも回収され、搭乗していた2人のものかどうかの確認作業が行われている。
墜落機を発見したのは、病人の空輸を行った後、帰途についていた救急ヘリコプターのパイロット。同公園内のロジャーズ・パス近辺の悪天候を避けるため、この地域を極めて低い高度で飛行していたところだった。その際、森の木の間に埋もれていた不自然な物が、ほんの一瞬だけ視界をかすめたのをヘリコプターのパイロットは見逃さなかった。
普段からパイロット仲間の間で行方不明機の話をしていたというランディ・マクレオドさんは、すぐさまこれが、10カ月も行方不明になっている小型機の残骸だと確信した。
警察から、行方不明機発見の知らせを受けた、ドミニク・ネロンさんの妹タミー・ネロンさんは11日フェイズブック上に、これで自分の誕生日の願いごとがかなったと書き込んでいる。その上で、この耐えがたかった10カ月間、家族を支えてくれたすべての人や、捜索に携わった警察や救難捜索隊への感謝の言葉を添えていた。
2018年9月20日 第38号
アルバータ州カルガリーそばの町で15日夕方、女性が自宅で飼い犬に殺された。また3歳になる女の子も大けがを負った。
事件が起きたのは、カルガリーの東12キロメートルほどにある、人口約5千人の町ラングドン。女性が飼っていた犬のうちの一匹の、ボクサーとピットブルの交配種が最初に3歳児を襲ったという。子供を救おうと母親が間に入ったが、今度は彼女が襲われた。当時家に居合わせた他の人が、この犬を檻の中に戻すことに成功したものの、49歳になるこの女性はその場で死亡した。3歳児は手と足に大けがを負ったが、命に別状はないという。
事件を警察に通報した目撃者によると、この犬は普段はよくしつけに従っており、攻撃的になる様子は見せたことはなかったと話している。警察はこの犬をカルガリーの施設で隔離し、様子を見ている。
2018年9月20日 第38号
第二次世界大戦に従軍した元軍人が過去38年間、がん撲滅のための基金集めに参加してきた。彼は今年93歳になるが、この活動は寿命が尽きるまで続けると語っている。
オンタリオ州バリーに住むウィリアム・ドゥイヤーさんは1980年、がん啓蒙のためにテリー・フォックスが挑戦した大陸横断マラソン「マラソン・オブ・ホープ」をテレビで知って以来、がん啓蒙活動に貢献することを誓った。彼のまわりには、母親をはじめ友人など、多くの人ががんで命を落としていた。
さらに10年前には息子の一人を、やはりがんで亡くしたほか、他の二人の子供もがんと診断され、ドゥイヤーさんは自身の活動に一層力を入れるようになった。
彼は毎年、テリーフォックス・ランが行われる1カ月前になると地元の家を一軒ずつまわりはじめ、テリーフォックス基金への寄付を募ってきた。ほぼ毎日、車であちこちの地区に出向いては、そこから徒歩で各家をめぐり、寄付の話を続けている。彼が立ち寄れないのは、玄関までに階段がある住宅。「たとえ数段でも階段があると、踏み外して転倒することが怖くて」と語っている。
それでも昨年は一人で4万4千ドルを集め、これまでの合計は80万ドルにのぼった。
ドゥイヤーさんは現在、自分の目標を100万ドルに設定、寿命が尽きる前に達成させようとしている。