2017年10月19日 第42号

 ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー市の市議補欠選挙が14日実施され、NPA(ノン-パーティザン・アソシエーション)候補ヘクター・ブレムナー氏が当選した。得票率は27・8パーセント。次点は無所属ジーン・スワンソン氏で21・4パーセント、続いてグリーン党のピート・フライ氏が20・3パーセントを獲得した。ワンシティから立候補したジュディ・グラベス氏は13・2パーセント、ビジョン・バンクーバー候補のディエゴ・カードナ氏はわずか11・3パーセントにとどまった。今回の投票率はわずか10・99パーセントだった。

 これで市議会はビジョンが6議席、NPAが4議席、グリーンが1議席となった。

 今回の補欠選挙は、ビジョンの市議ジェフ・メグズ前副市長が今夏辞職したために実施された。メグズ前市議はBC州新民主党(NDP)政権が誕生した時に、ジョン・ホーガン州首相補佐官に就任した。

 今回市議に当選したブレムナー氏はBC州自由党前政権で副党首だったリッチ・コールマン議員の元事務補佐官。政治的にはやや右寄りのNPAから立候補し、住宅問題などを訴えた。当選後には「市民の声が反映された結果」と語った。

 BC州では来年10月、市町村選挙が実施される。これまでグレゴール・ロバートソン市長が率いるビジョン・バンクーバーが市議の多数を占めいたが、今回の補欠選挙の結果は来年の選挙がビジョンにとって厳しいものになることを意味している。

 さらに、この選挙で明らかになったのは、来年の選挙では住宅問題が焦点になるだろうということ。次点だった無所属スワンソン氏は貧困救済活動家で、貧困層の住宅問題を訴えた。続いたグリーンのフライ氏は「賃貸料引き上げの凍結・高級住宅税実施」をスローガンに戦った。そして3人とも得票率でビジョンを上回った。左寄り政党としてのビジョンに取って代われる候補者を有権者が選択したという事実は大きい。

 それは同時に行われた教育委員会理事の選挙でも明らかだった。当選したのはグリーン党3人、ビジョン3人、NPA2人、ワンシティ1人。1党過半数とはならなかった。

 ロバートソン市長は、市民が我々に対して働きが足りないということを示した結果となったと声明を発表した。

 

 

2017年10月19日 第42号

 アルバータ州で行われた市町村選挙で、カルガリー市ナヒード・ネンシ市長が再選を果たし、3期連続を実現した。また市議も現職がほぼ当選。カルガリー市民は現状維持を選択した。

 ネンシ市長の再選は五分五分とみられていた。対抗馬だったビル・スミス氏に勢いがあり、120万都市カルガリーの市民が変化を求めるのではとも予想されていた。

 結果はネンシ市長11万2503票、スミス氏9万7756票。ネンシ市長は「最善を尽くして市民のために働きたい。市町としてカルガリー市民に尽くせるこの仕事が世界最高の仕事だ」と勝利宣言で語った。

 今回の選挙では投票率58・1パーセントと約40年ぶりの高い水準となり、州民の関心が高かったことを示している。

 ネンシ市長は北米の大都市では初のイスラム教徒の市長として注目された。2010年に初当選。2014年に再選を果たした。しかし同年夏から起きた原油価格の急落により、選挙当時はそれほどでもなかったが、その後アルバータ州全体の経済が大きく後退。カルガリー市も税制などの変更を余儀なくされ、今回の選挙での争点ともなっていた。

 また市が提案したビクトリアパーク近辺での文化エンターテイメント地区開発について、同市を本拠地としているNHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)カルガリー・フレームズやCFL(カナディアン・フットボール・リーグ)カルガリー・スタンピーダーズのオーナーが反対したことで、今回の選挙でも話題となった。

 ネンシ市長の当選が決まるとフレームズのメディア担当ショーン・ケルソ氏が、ネンシ市長再選はアメリカでトランプ大統領が誕生したよりも最悪とツイート。すぐに削除されたが、市を代表するプロスポーツチームのメディア担当による個人を攻撃するツイートに批判の声が相次いだ。しかしフレームズはあくまでも個人的な意見であり、チームとしての見解ではない、個人は自身の意見を表現する権利を有すると今回の件で特に対応はしないことを発表している。

 

 

2017年10月19日 第42号

 カナダ政府クリスティア・フリーランド外相は17日、アメリカ・ワシントンDCでアメリカ通商代表、メキシコ経済相との北米自由貿易協定(NAFTA)についての共同記者会見に臨み、アメリカの「異例な」要求が3カ国交渉を必要以上に難しいものにしていると暗に批判した。

 NAFTAは今月ワシントンで10日間にわたる4回目の交渉が行われていた。交渉中の今月11日にはジャスティン・トルドー首相がワシントンで米ドナルド・トランプ大統領と会談。共同会見ではトランプ大統領がアメリカのNAFTAからの撤退もあり得ると言及した。

 トルドー首相はその直後、記者会見を開き、引き続きNAFTAがカナダだけでなくアメリカ経済と雇用にとっても重要な協定であることを強調。しかし今後交渉は厳しくなるとの見方を示し、どのような事態にも対応する用意をしておくと語った。

 17日のフリーランド外相の共同記者会見後の会見でも同様の姿勢が見られ、無理難題を押し付けてくるアメリカの交渉にいらだちを見せながらも、今後もNAFTAの重要性を強調していくことに変わりはなく、カナダが交渉から撤退する意思がないことを示した。

 NAFTA締結から23年が経ち、現状に合わせて最適化が必要となっていることでは両国財界の意見は一致している。ただフリーランド財相は、最適化が「一国によるひとり勝ちを目指す」姿勢では成し遂げられないとアメリカ政府に警告した。

 アメリカは、自動車産業についてアメリカ製部品の使用拡大を要求しているほか、カナダの保護産業政策を問題視しているとみられている。

 今年中には目途をつける予定で進められていた交渉だが、2018年も引き続き行うことで3カ国が合意。まずは11月にも事務レベルでの交渉が続けられる。

 

 

2017年10月19日 第42号

 ノバスコシア州の漁港で、先住民が所有するロブスター用の漁船が盗まれ放火される事件が9日、起こった。この地域での先住民の漁業に反感を持つ何者かによる仕業ではないかとみられている。

 事件が起こったのは、同州西端の漁港コモービル。漁船の持ち主アレックス・マクドナルドさんは、先住民であるなしに関わらず、自分の漁師仲間はこんなことはしないと取材に話している。マクドナルドさんはまた、1週間前には乾ドックに入っていた先住民ではない漁師の漁船が放火される事件が起こったことに触れ、何者かが両者の間の対立を煽っているようだと付け加えている。

 カナダ最高裁は1990年に、先住民が食用の他、社交や儀式用に漁をする権利を認める判決を出している。さらにこの権利が、資源保護に反しない限り他の漁業者のものよりも優先されることも認めた。その一方、そうして獲られた魚の商業販売は禁止されている。しかし今回の事件が起こった漁港が面するセント・メアリーズ湾では最近、明らかにこの権利に違反した操業が行われていることをカナダ漁業海洋省が把握、取り締まりを強化しているところだった。

 マクドナルドさんは9日、埠頭に係留していた自分の船の状態を確認しに行ったところ、とも綱が焼ききられて船が盗まれているのを発見した。その日遅く、漁業海洋省からマクドナルドさんの船が沖合いで炎上しているとの連絡を受けた。彼の船は岸辺に曳航される前に沈没した。

 漁船は自分にとって生計を支えるもので、つい最近トランスミッションの交換に7300ドルもつぎ込んだところだったと嘆いている。

 現地では最近、先住民ロブスター漁の優位性に不満を呈する声が高まっている。先月には、先住民漁師をインターネット上で恐喝した罪で2人の非先住民の男が逮捕されている。さらにはいくつかの漁業省事務所の前に非先住民漁師のグループが押しかけ、先住民漁師がその権利を濫用し、5月31日に漁期が終わった後もロブスターを獲りつづけるなどしていると、抗議する姿もよく見かけられるようになった。

 

 

2017年10月19日 第42号

 ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーの、アウトドア用品店や自転車店が多く集まる一角で15日夜に火事が発生、このあたりでは珍しいアフリカの美術品とドラムを扱う店が全焼した。

 火事が起こったのは同市ブロードウェイ沿いの店、アフリカン・アーツ・アンド・ドラムス。道路を挟んだ反対側には、大規模アウトドア用品店マウンテン・エクイップメント・コープ(MEC)がある。

 焼失した建物は、3階部分が三角屋根になっている特徴的な木造3階建てで、1階部分が店舗で3階には3人が暮らしていたが、けが人は出なかった。また両隣の建物への延焼もなかったものの、焼けた家の裏側に止めてあった2台の車は燃えてしまった。

 通報を受けた消防が到着した時には、3階の屋根から炎が立ち上るほど火の勢いは強かったと、消防署では話している。なおこの火事を通報した人の中に、その日BCプレースで行われていたプロサッカー試合に出場していた10代の選手、バンクーバー・ホワイトキャップスのアルフォンソ・デービスさんがいた。また目撃者によると、火事が起こる直前に建物のそばにあった変圧器が爆発したという。火災現場付近では最大で1万戸が停電に見舞われた。

 午後11時には火の手は収まった。消防が火事の原因を調査している。

 

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。