2019年11月28日 第48号

 朝、目が覚めるともう7時半。でもまだ外は暗ぁい。これがバンクーバーの秋? あれー、もう冬なのかなぁ? ソファに寝ながら薄明かりで外を見る。サンルームの花々がサーっと目に入る。ブーゲンビリアが満開だ。この花、買った時は高さ50センチ位、あれから30年、今、私の身の丈より高い。蕾は最初薄い赤っぽい黄緑で花弁が広がると綺麗な半透明なピンクになる。花に香りはないが、目を楽しませてくれる。今、サンルームにはいろいろな花が咲いている。紅葉した葉も落ち、殺伐とした庭を見ていると、このサンルームの花がありがたく、心身ともに癒される。

   2017年の暮れ、最愛の息子が老婆の住むリッチモンドの家に突然舞い込んできた。うつ病になって、自分で自分の生活を守っていけなくなったのだろう。長年、住んでいた自分のダウンタウンのコンドを滅茶滅茶に汚し、洗濯物はいくつものガベッジバッグに押し込んであった。仕方がない、引越屋に彼の持ち物全部移してもらった。建築工事屋がカーペットを板床に変え、浴室も修理、ペンキもすっかり塗り、賃貸した。我が家へ来た息子は、来る日も、来る日もただただ寝ていた。時々、目が覚めると食べ物を探しに台所へ来る。何か食べて部屋に戻りまた寝ている。とにかく、いろいろ薬を飲むから、その影響で体は思うようにならないのが分かる。かわいそうだがどうしたらよいか、この無能な老婆には分からない。ただただ、この2人、最初は忍の一字、でもなぜか老婆には天が与えた「人生最後の試練」そう思えた。彼を優しく受け入れ楽しく暮らし、親子が互いに思いやる生活。あれからもうそろそろ2年が経つ。まだ薬に依存しているようだが、仕事はコンピューター関係で広告を作成し、作品を見ると素晴らしい。よくこんなセンスがあるものだと感心する。毎日、一生懸命頑張る姿、それは痛々しいが、でも人間の持つ不思議な力に感動する。  

 そして、思うのはここバンクーバーで2016年9月8日に殺害された語学留学生「古川夏好ちゃん」の弟2人。彼らは姉の死のショックからうつ病となり、今も立ち直れていない。母親の恵美子さんの夫は2015年に病死、その翌年、夏好ちゃん事件、そして、遺灰を持ってカナダから帰った恵美子さん、その彼女の母親はショックで心臓病発作。それからずっとお母様は入退院を繰り返し、この10月末、ついに他界されたと報告があった。「神はその人が乗り越えられない試練は与えない」と言うけれど…。恵美子さんの体験は過酷だ。その彼女から辛い思いを訴えるメッセージを受けた時、この老婆は何と励ましたらよいのだろう。現実が変わらないなら、悩みに対しては「心の持ち方」を変えてみる。心にぽっかり空いた穴から「これまで見えなかったもの」が見えてくると人はいう。

   尊敬する作家桐島洋子さんの傘寿祝会に2年前私は東京へ行った。そこで優しい家族とたくさんの友人に囲まれて幸せそうな洋子先生を見ていいなぁと思った。 

 2019年、この老婆、80歳誕生日を数カ月後にひかえ、家族から傘寿祝話が出た。

 そこで、自分の歩いてきた80年を振り返った。思えば、私は家族、友人、知人全ての人たちに助けられて今がある。もしこの人たちに、お礼を言わず、インドの占い師が言うとおりインドカレンダーの82〜83歳で他界するなら「申し訳ない」。これは「祝い」ではなく「感謝の会」にしなければいけない! 

 実は以前、老婆は卒中と医療ミスと重なり、体内出血でRGH病院で救命されず、VGH病院の緊急病棟へ転院。救命はされたが身体が不自由になった。「生きる道を求め」訪ねたのが、インドの占い師だった。それから20数年生きて来た道は、まさに彼の占いどおりだった。「傘寿祝い」を「感謝の昼食会」にしよう。そう決め日本へ行き、墓参り、親戚、友人たちにもお礼を言ってきた。帰宅し、親友に招待客のテーブル席名簿作成を手伝ってもらい、とうとうこの老婆は80歳「感謝の昼食会」を行った。最初の60席が83席となった。老婆が長年世話になった家族と友人たちと一緒のそれは楽しい食事会だった。コーラスがあり、バイオリン演奏があり、老婆の昔話も聞いてくれた。そして、食事会の終わりに、日本から数十冊皆に読んで幸せになってほしいと持ち帰った「置かれた場所で咲きなさい」の本をプレゼントした。 

 古川夏好ちゃんの母恵美子さんへもこの本を送ってみよう。ブーゲンビリアと優しい友人と家族に恵まれ、なんと幸せな80歳、「ありがとう」と天に向かって呟いた。

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。