2019年9月26日 第39号

 何時だったか、久しぶりに会った知人が、会った途端に「あんた、まだ下宿屋やってるの?」と言った。そして、私の娘は「How can you live with total stranger under one roof?」「全く知らない人と一つ屋根の下によく住めるねぇ」と言う。

 「小母さん、困ったことがあるんだけどねぇ」話しかけてきたのは1960年代香港の啓徳国際空港でのこと、日本航空の空港所長さんだった。当時この空港で働く日本人の数は少なかった。だから、各飛行機会社の日本人スタッフは互いに仲良く助け合うことが多かった。その日の彼の問題は日本の本社から送られてくる1年間トレーニングスタッフの住まいだった。2名のスタッフが今入居中の下宿屋の隣がキャバレーでうるさくて夜眠れない、どこかいい下宿屋無いかなぁ?ということだった。

 20代の私にいつも「小母さん」と声をかける日航の空港所長さんだ。「そうかぁ、キャバレーの隣じゃかわいそうよねぇ」そう言った途端、私はふっと気が付いた。「私の家どう?」と彼に声をかけた。実は私の舅が建築会社をやっていて彼の会社が建てたビルに私は住んでいたのだ。2軒のフラットを繋げた香港にしては大きなマンションだった。そして、2部屋空いているのだ。浴室は3カ所だが部屋は空いていた。そして、日航のスタッフが下見に来てすっかり気に入ってくれた。1歩外に出ると右側に広い通りを越して公園があり、左は銀座の真ん中のような繁華街だ。それから毎年、日航スタッフが下宿してくれた。

 つまり、私の下宿屋は1960年代、香港で始まったのだ。そして、カナダへ移民して3カ月目、親友の娘さんが小学校を終え、一人モントリオールへ留学し12歳で我が家に下宿した。彼女がバンクーバーの学校へ移る頃、私たちもバンクーバーへ越した。それから何軒か引っ越しがあったが、やがてこの広い家に越してから、私はまた下宿屋を始めた。有料のときも無料のときもある。変わらないのはいつも家族以外の「家族みたいな人」が我が家にいることだ。5年も住んでいる一人に何度か頼んでみたが、ここが好きだと出てくれない。優しい、いい人たちだ。

 そして、下宿人探しだが、友人知人に紹介されることもあるが、大抵は広告で募集する。ところで、今日、新報を読んだら「物件探し・住居探しでの詐欺にご注意下さい」と言うコラムが目に付いた。借りる方にもいろいろ心配事がありますが、貸す方にも心配はあります。問い合わせに「下見がしたい」と言ってくる。自分の名前も言わず、自分のことは何も知らせず下宿屋を見に来るのだ。見せる方の下宿屋は今自分が住んでいる家の中を誰とも知らない人に見せるわけで、後で「泥棒の下見だった」としても文句は言えません。私は大抵何回かのメールのやり取りで「勘」が働き「この人だ!」と思えると下見の許可をだします。

 中国、タイ、日本、インド、ニュージーランド、フィリピン、キューバ、オーストラリア、イラン、イラク、ドイツ、チェコ、ポーランド等国籍もいろいろです。4〜5年住んでいる人も半年の人もいますが、皆とても良い人たちばかりです。そして、ポーランドの人から「For The World's Best Landlord]という表彰状を額に入れて頂きました。半世紀の下宿屋で1回も部屋代の未支払いはありません。気が付いたのはメールでの問い合わせで日本人の方は警戒しているのでしょうか、お名前さえきちんと教えてくれません。私は自分の家を全部貴方に見せるのです。どこの誰で、何をしているか、滞在期間はどのくらいか等は教えて下さいとお願いします。そして返信を待ちます。この質問に丁寧に返信くださる方たちといつも良い出会いがあり、この数十年も続いています。

 「一人で住むアパート生活」想像するだけでこの老婆、淋しいだろうなぁ。

 そうそう、先回の「老婆のひとりごと」を読んで下さったバッツ操さん、コメントありがとうございます。コラムを読まれて笑ったとおっしゃいますが、私も笑っています。娘の運転は道を間違えることは度々、方向音痴で15分の遠回りもします。ところでバッツさん、もう90歳になりますね。「投稿千景」久しぶりに読ませていただきうれしかったです。

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。