2019年10月10日 第39号
「ねぇ、皆「詩吟」って聴いたことある?」「ないわー」、「私もない」、「私もない」結局、総勢7人の若い女子学生たちは「詩吟」を日本で聴くことなく来加、4カ月目。このカナダで生まれて初めて詩吟を聴く機会を得ることになった。
桜花を捧ぐ
工野義兵衛渡扇加百に十七年
豊かなる漁場同胞町を成す
風吹けば一変高波舟を飲み込む
苦難幾多時代を経し 望郷の念
彩雲輝き沈む陽は日の元を照らし
海も又紀伊の国故郷三尾へ続く
雄大なる山脈ロッキー連なり
万年雪水集めて速しフレーザー川
貴方みし河岸ゲリーポイント
捧げし二百五十五本桜花爛漫
先人の偉業讃え後世に伝えん
あの日、平野国政氏がこの詩を書き、数え歳100歳になる村尾國畔氏が今回吟じたのだ。あの時、感動しない人はいなかっただろう。若者達は興奮と驚きで目が輝かせていた。
昔、1960年末、私が移民するずっと前、友人と観光で来たスティーブストンを思い出した。No・3ロードのショッピングモールは建てられていたが、その向かい側はまだ畑で、小さな人家がぽつんぽつんと建っていた。その様子が詩吟を聴いているうちに目に浮かんでくるのだ。淋しいリッチモンドだった。
しっかりした腹の底から出る、感情のこもった唄い。これが吟じるということなのだろう。背後に映写されている漢詩を読みながら、老婆は2年前に驚きながら、初めて本格的な詩吟を聴いた。今回は心に刻み付けるように、しっかり聴いていた。学生たちは20曲もの詩吟中、日本の歴史の謡った「安土炎上」や「秀光の心」「合戦川中島」などの詩吟に、興味を持ったようだ。そして、日本の歴史について、互いに話し合っていた。
その「第4回バンクーバー詩吟愛好家者交流会」はパウエルストリートの仏教会ホールで行われた。7人の学生たちは、それぞれ皆バスと徒歩で、雨の中会場へやってきた。
2年前、老婆が若い日本から来たばかりの青年と詩吟の会に行った時は晴天だった。ホームレスの人たちがたむろしているオッペンハイマーは明るい公園だった。
そして、今回は雨の中、公園中にビニール、プラスチックのテントがぎっしり並び、そこは完全にテント村。私の胸がキューンといたくなり、彼らのトイレやお風呂のことまで気になった。
1993年から2014年まで年に数回、ここへ夕食をつくりに私はやって来た。第1回目は数十人の仲間と千人のホームレスに給食で、公園脇のキリスト教会で料理し、100人ごとにそこで食べてもらう。980杯のご飯を茶わんに入れた時、私の手はクタクタだった。そんなことを思い出しながら公園をとおり過ぎた。しっかり、その様子を見たはずの学生たちだが、誰一人、一言もそれに触れた話は一晩中しなかった。老婆はこの留学生に、私たち日系カナダ人の生活の一部を詩吟の会と同時に見て貰いたくて、彼女たちを誘った。そして、テント村のホームレスの存在も見てほしかった。
この「詩吟交流会」では詩吟の「朗詠と朗詠」の間には余興の日本舞踊、お琴と尺八演奏、沖縄太鼓(エイサー太鼓)、節童といって三味線、三線、太鼓に歌での演奏、さらにフラダンスがあった。それぞれがまた素晴らしかった。 学生たちは私に言った。「詩吟も凄い! でも、まさかカナダへきて、これほどいろいろ日本文化を観れると思わなかったです。まさか『お琴と尺八』と『沖縄太鼓』まで」と感動しているのだった。
「詩吟の会」終了後、彼女たち全員が老婆の家に集まりポットラックで食事をしながら、感想を話しあった。結局、2017年老婆が初めて「詩吟」を聴き、感動した時に書いたエッセイとほぼ同じことを彼女たちも言っていた。朗詠者後方にしっかり漢詩が映像され、その詩を読みながら朗詠を聴くことができるため、非常に心に沁みてくるのだ。学生7人全員「どうしてあんなに良い声が皆さん出るのでしょうか!?」と私と同じ質問を繰り返すのだ。一昨年、私も朗詠者の一人にクラシックのソプラノの腹式呼吸と同じですか? と質問したら、「そうだ」と答えが返ってきた。
それならば、ひょっとして、この詩吟朗詠者はクラシックのソプラノを歌えるのですよね。あっ、そういえば、そうだ!朗詠者の中に一人、先日「歌ソロコンサート」で歌っていた方がいた!
許 澄子