2020年1月16日 第3号
昨年暮れ、娘を訪ねてサンフランシスコに行き、けっこう長滞在していた。娘が日本人の母親だからと友人に頼み「表千家」のお茶会に連れて行ってくれた。茶道に全く縁のない老婆は、久しぶりに着物姿の人達と一緒に茶席に入った。交通事故で左足の自由が利かない私に椅子を出してくれ、椅子に座り茶道をジーっと見ていた老婆、気が付いたのは「和敬清寂」茶道の基本精神、「一期一会」とか、お茶の味がどうとか? 茶碗がどうとか? 着物が綺麗とかではなかった。「凄い!」と思ったのは「着物」と「物」の利用法だった。胸の袷合わせに「御懐紙」が挟まれ、懐紙はお皿代わりにお菓子を乗せ、茶碗を拭き、そして、使った懐紙はゴミになる。するとそのごみは、そっとタモト(袂)に入れられる。全員退席後、ゴミは一つも残っていなかった。あの着物はすごい収納力のあるハンドバックでもあるのだと気付いた。和しあう心、敬いあう心、清らかな心、そして動じない心かぁ、うーん日本文化がこうしてサンフランシスコでも、バンクーバーにもそして北米全体あちこちで、日本人の心として伝えられているのだと嬉しくなった。
ユダヤ教の「ハヌカ」は毎年変わるが2019年はクリスマスと重なっていた。娘の夫とその家族はユダヤ教を信じるユダヤ人だ。娘婿はハーバード大学を卒業後数年エルサレムへ行ってユダヤ教を勉強し、その後、モルガンスタンレー証券に勤務、英国やスイス、日本、米国はニューヨーク駐在し、あの9・11事件の数週間前にサンフランシスコに転勤していた。あの時、何と300名以上の同僚が亡くなったと聞く。とにかく、昨年暮れ、8日間で9本のろうそく光の祭りハヌカを体験後、老婆は一人バンクーバーへ帰った。たった一人の年末はやりきれない。本当に淋しかった。しかし、大晦日には娘とその家族がアイフォーンでサンフランシスコの家族パーティーの様子を15分おきに送信してくれた。そして、電話でカウントダウンまで一緒にやった。便利な世の中になったものだ。
私の大切な友人でショートメモリーを無くした人がいる。そして、家族は友人に親切にしながらもイライラしているのが目に見える。疲れるのかもしれない。友人も時々それに気が付くが、流れに任せて明るく生活している。私の様に病を繰り返している者は病気になるたびに「今回の病気から自分は一体何を学んだらよいの?」と真剣に自身に聞く。そして、学ぶのは「忍耐」と「感謝」と答えが返ってくる。病気し、元気になると、医者に、看護師に、病院に、家族に、友人に、薬に、本当に全てに素直に感謝している自分に気が付く。「ありがとう」と心でつぶやく。
ある人が、自分たちの人生で起きた事、全て、些細な思い出さえ、一つとして無駄なものはない、無駄だと思えるのは、われわれの勝手な判断で、実は我々の人生の為に役に立つ何かを隠しているのであり、それは無駄どころか、貴重な物を秘めているような気がすると言っていた。 Aさんは「ねぇ、澄子さん、今日のランチ一緒にする人って手帳にMと書いてあるの、だぁれ?」。「ああ、Mさんね、彼女◯◯会社の人よ」
そしてまた暫くすると「澄子さん、今日Mさんという人とランチって、手帳に書いてあるの。Mさんってだぁーれ?」「ああ、その方ね、◯◯会社の人よ。お正月だから一緒に食事しようって誘ってくれたの」もうさっきから同じことを繰り返し質問され続けている。「ねぇ、さっきから貴方ずっと同じ質問、もう7回目よー」この老婆はとうとうと文句っぽく言ってしまった。しかし、Aさんは明るくニコニコしながら「私ねぇ、ショートメモリーが無いのよー。今聞いた事、直ぐ忘れるのぅ」と答えた。そうしてその友と1日中一緒に、探し物をしたり、昔話をしている。しかし、この老婆、人名や約束忘れなんて年中だ。
「日曜日の約束忘れちゃった。あやまっても許(ゆる)サンデー!」とか、「仏像!」と言われたら、「銅像!」とか言っちゃてねぇ。変な事ばかり言ったり、笑ったり、イライラせずに周りの人と笑いながら、でも注意深く認知症の人とでも仲良く生活できるのだ。認知症プラス、他の病気、それに経済的な問題等々重なってきたら、これはやっぱり大変だ。本音で言えば、考えただけで、この老婆はオタオタしながら、「百歳過ぎても絶対死なんぞう」でもそれって、「それは至難だよ」
新しく迎えた2020年、 国連が盛んに声かけをしている環境問題に温暖化、一体どんな年になるのだろう。
許 澄子