2019年7月25日 第30号
「ねぇ、これからママからのeメールね、私に送っても読まないからね。意地悪ばかり書いてあるから。」突然、娘が2階から下りてきて、ニコニコしながら言った。
バンクーバーの7月、朝7時にはサンサンと輝く朝日。気持ちよい朝日を浴びながらどんぶり一杯、庭のブルーベリーを積み、ヨーグルトに混ぜてゆっくり食べながら、サンルームでコーヒーを飲んでいた老婆だった。娘がまた続けて「ママぁ、昔ね、私に言ったことなんだけどね、覚えていないよねぇ。」「ある若い女性がさぁ、長い間、親の介護でノイローゼになってね、自殺はかったけれど助けられた。そして、親から離れたら、元気になった。」という話だ。そんな話、娘にする親がいた。それがこの老婆だった。どうして孝行娘の話をしなかったのかなぁ。その話を聞かされた娘は今、この老婆と一緒に住んで[あげている]という認識なのだろうか?
問題は老婆が昨夜、娘に送った「意地悪eメール」のことだ。今の老婆の生き方目標は「荷物の整理をし、家を綺麗に気持ちよく」これが80歳を迎える自分の終活の一部なのだ。ところがこの娘、とにかく「掃除下手」、「汚れても気が付かない、綺麗になっても気が付かない」周りがどのような状態でも全く関心がない。それが原因の文句eメールだ。掃除をしてくれと願った、難聴老婆のeメールは意地悪なのだろうか? 難聴老婆だから会話でなく、eメールにすればどっしーんと伝えたいことが、通じると思ったのだが…。
彼女は勉強に関しては小学校から大学まで常に優等生だった。以前このコラムで彼女のことを「自慢したければねぇ…。」という題で書いたことがある。掃除、整理整頓以外はやることは何でもやる、実行力がある。思いやりもある。ある意味では私が好きな生き方をしている女性だ。しかし、問題は「掃除下手」。老婆は8寝室と5浴室、この家を手伝い人無しで綺麗にして居たいのだ。そこへ、掃除下手で汚し屋のこの娘が日本から修士号を取りたくて2年前に戻って来た。彼女はその時48歳。そして、今年の12月めでたく卒業だ。夫を置いて一人日本からカナダへ自閉症の研究にきた。 彼女の息子はバンクーバーのセントジョージ高校の奨学金を受け3年ここで学び、今は日本の大学で経済学を勉強中。もう一人の娘はシルク・ド・ソレイユに数百人の応募者中7人合格という狭き門を通り、モントリオールで普通の勉強と付属中学高校、大学まであるこの組織でサーカスをやり、勉強もしていた。1年後、結果はホームシックと多分、老婆の想像ではフランス語での生活が辛かったのだろう。バンクーバーで自閉症研究中の母親のところにやってきた。彼女の夫は日本で法律を学びそれが土台の仕事をする半官半民の会社にずっと勤務。趣味で新体道という変な柔道に似た運動をやり、今は真剣道(正直、この老婆はそれをなんと呼んでよいか知らない)を、真剣にやっている。夫婦別居2年、それでもこの夫婦、そして2人の子どもも皆仲良しで距離を感じさせない。問題は老婆とだけである。
今朝の彼女の説明では、
①一つ、老婆はまず掃除は自分のやりかた通りでないと不足をいう。
②商売のコンド賃貸も不動産屋に依頼すれば簡単。でも彼らのやり方が気に入らない。
③不動産屋推薦の清掃人のことは文句ばかり。そして、結局、自分が清掃をやり直す。
④掃除だけでなく、娘の運転中も老婆の好みの道を通らないと文句を言う。
⑤つまり全て自分の思うようにならないと文句を言う。
以上、娘に言わせると私は『文句婆』なのだ。しかし、さらに彼女は言った。でもねぇ。卒中で両手麻痺から回復、次々に病気や交通事故左足痺れ、それに難聴と眩暈症といろいろ身体の不自由を乗り超え、なんとか『自分の思いどおりにやりたい』、その『やりたい一心』が今のママを元気にしているのだと思う。だからぁ…と最後に彼女は「その我が儘なやりたい精神をエネルギー源とし、頑張り続けているのが自分のママだと思う」。
ありがとう、娘よ。「your understanding.」 デモね、掃除もやってくれないかなぁ。
老婆より
許 澄子