2019年5月23日 第21号

 ぎゅうぎゅう詰めの江の島電車に乗った途端、反対側のドアまでグーンと押し付けられた。「あーっ、助けてー!」 倒れそうだ。しかし、倒れる薄間もない。するとドア脇席の人が老婆を助けながら、自分の席を譲ってくれた。

 まあこれほど混んでいる電車に乗ったことはない。まるで映画で見る戦後間もない難民移動時の様だった。それは、つい先日、「平成」から「令和」に移った2019年5月1日、日本のゴールデンウィークの真っ最中、友の病気見舞いに鎌倉へ行った電車内でのこと。老婆を助け座らせてくれた人は50〜60歳の男性、奥さんが隣席で私にいたわりの言葉を掛けてくれた。私は「昨夜、バンクーバーから来て、今日は友人の病気見舞で稲村ケ崎まで行きます」と言うとその人が「稲村ケ崎ですかぁ、最近、ご存知ですか? 桐島洋子という作家が越してこられたと聞いていますよ」「ここはいろいろ有名人が多く住んでいる所なのです」と言うではありませんか。私は驚きましたよ。だって、今、私が見舞いに行く相手は正にその「作家、桐島洋子さん」なのですから。そこで、「今、その桐島洋子さんの見舞いなのだ」と言うと、彼女もまた驚いた。とにかく、無事、稲村ケ崎に到着。駅から歩きはじめると同時に雨が降り出す。歩き始めて数分。濡れながら歩く白髪で足が不自由な老婆の横に車がすーっと止まる。見ず知らずの2人の子連れ女性が私に「車に乗りなさい。お送りします」と言う。驚いたが大喜びで乗せて貰い、間もなく桐島邸に到着。久しぶりに会う洋子先生は病床と思いきや、綺麗にお化粧してドレスアップ、素敵な帽子までかぶっています。「お元気そうですね」と言うと「まあ、まあ、です」とおっしゃいます。3月に彼女から頂いたメールで、「腰痛の手術で入院します。命にかかわりは無いと思いますが、桜の咲くころには貴方とお花見が出来るといいですね」と書かれていました。それ以後、何回Eメールを送っても返信なし。ほとんど1日おきに私達は「淋しい病」をメールで愚痴って慰め励まし合っていましたから、音信不通は心配でたまらない。同居されている娘さんヘメールを送ると「手術は成功」「でも今は車椅子での生活」と書いてありました。彼女の家の構造を思うと道路から家まで12〜13段の階段があり、玄関を上がるとまた、洗面所へ2〜3段の階段があるので、ご不便だろうなぁと心配していた。ところが彼女にお会いすると洋子先生、部屋内は自由に歩いていらっしゃる。「ああ、良かった!」の一言です。

 今回、日本への友人お見舞い旅行を振り返ると「人の親切に遠慮なく感謝で甘えながらだが、身障者でも旅ができる時代」なのだ。…とこの老婆「ああ、良い時代に生きている」そんな喜びを感じたのです。

 この旅の出発の日、ANAの飛行機のチェックインカウンターへ行くと身障者移動用の車が用意されゲートまで連れて行ってくれました。私は昨年11月にANAで車椅子の世話になり、今回は何とか徒歩可能と自己判断。ただ、難聴のため、機内放送の大切な情報の聞き逃しを案じて、予約の時に配慮して頂けるように頼んでおいた。当日、機内へ入って間もなく、フライトアテンダントの一人が1枚のカードを持って私の席に来た。そして、「このカードは今日キャプテンが機内でするアナウンスです」とくれました。カードに英語でキャプテン手書きの説明があり「どうぞ読んで下さい」と言うのです。ボールペンで天候のこと、飛行時間のこと、その他諸事丁寧に書かれていました。機内での係員のサービス、到着後、また帰国時の羽田でのサービスは有難かった。安い切符で旅するこの老婆には申し訳ないくらい、皆様の親切にどっぷり甘えての旅だった。それぞれ係の方たちは「仕事だからやる」のではなく「困っている人だから助けてあげる」という温かい気持ちが伝わってくるのです。

 洋子先生を訪問3日後、老婆は東京から青森の「酸ヶ湯温泉」「弘前」と、これまた友人に連れられ回りました。それは、2016年9月にバンクーバーで起きた事件の被害者古川夏好ちゃんの母と弟さんとの2日間でした。5人の男兄弟で女は一人、合計6人兄姉弟の仲良しが育った八甲田山の村。そこまで、母の恵美子さんは私を連れて行ってくれました。今回、同行の弟さんは姉と年齢差があったので夏好ちゃんにお世話されていたのです。姉さんママが忘れられない彼には事件後3年が過ぎても辛いのです。偶然、知り合った老婆に、あんなに優しくしてくださった夏好ちゃん、「ああ、また会えたらいいなぁ」。 

許 澄子

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。