2017年7月6日 第27号
イラスト共に片桐 貞夫
ステイシーとジャックを知って八年になるが、一度としてこの家の中に入ったことがないことに蘭子は気がついた。なぜか入る機会がなかったのだ。だから、写真の存在にも気づかず、二人に娘がいたことも分からなかったのだ。
「そう? 娘さんがいたの? こんなにきれいでかわいい。知らなかったわ。それでなにかあったのジェニファーに? どこに住んでるの」
蘭子は一度として見かけたことがなかったのだ。
「ウ…」
蘭子が訊くと二人の泣き声が高まった。蘭子は、そのジェニファーという娘が怪我でもしたのかと思ったがそれどころではないようである。わざわざ警察が自宅を訪ねてきたのだ。
「どうしたの。…なんだっていうのよ」
「ウウウ…」
「ねえ、どうしたの」
「し、しんでたの」
「え」
「し、しんでたんだって」
「どういうこと? ねえ、どういうこと」
「行方不明だったの」
「ゆくえふめ…」
「そ、そうなの。ジ、ジェニファーは…二十年前から行方不明になってたんだけど……ウウウ…」
「ウウウウ…ジェニ…ジェニ」
ジャックも懸命に喋ろうとしている。
「し、死んでたんだって…ウウウ…」
「わ、わからないわ。なにがなんだか解らないわ。いまなんて言ったの。ジェニファーは二十年前から行方不明になってたって言ったの? それで、いま警察が来て、死んでたって言ったの?」
大変なことである。
「ウウウ…」
ステイシーとジャックが苦しそうにうなづいた。
蘭子はことの概略を知ったがまだ納得するまでにいたってない。あまりにも特異な現実で、咀嚼するのに、もっと適切な説明と時間が必要であった。
「どうして判ったの」
「ウウウ…み、みつかったててぇてぇ…ウウウ…」
「ジェ、ジェニファーの、ジェニファーの、し、死体が…ウウウ…」
「ジェニファーの死体が見つかったって…言うの、警察は?」
「DNAで調べたら、ま、まちがいないって…ウウウ…」
「そんな」
「バ、バ、バンクーバー…ちちちくしょー」
「バンクーバー?」
ジャックの言葉を聞き取って蘭子がすばやく訊きかえした。
「そうなの。ジェニファーはバンクーバーの大学に行ってたのよ」
「バンクーバーの大学? そう、バンクーバーの大学に行ってたの、ジェニファーは?」
と言ってから蘭子がつばを呑み込んだ。そして高まってしまった声を下げて訊いた。
「それ、なんていう大学かしら」
「ブリティッシュ・コロンビア大学よ」
「ブリティッシュ・コロンビア?…コ、コロンビア」
バンクーバーの総合大学はブリティッシュ・コロンビアとサイモンフレーザーしかない。
「そうなの」
「ブリティッシュ・コロンビア大学」
同じ大学である。輝昭が行っていた大学である。
ふたたび「ブリティッシュ・コロンビア」と言ってから蘭子は「二十年まえ」と口の中でつぶやいた。
「ハイキングにでも行ってたの?」
蘭子は「行方不明」を遭難とみた。山にでも登って、そのまま消息を絶っていたと思った。
「ちちちち、ちちちがう……ウウウウウ…ホホ、ホモ、ホモサイド…ウウウ」
「ホモサイド? …いま、なんて言ったの? ホ、ホモサイドって言ったの?」
ホモサイドとは殺人である。人が人を殺す犯罪である。
「ねえ、そうなの?」
蘭子がステイシーを見た。
「イ、イエス…ウウウウ」
ふたたび二人が声を合わせて泣いた。
ホモサイド……
二十年まえ、トロントからバンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学に行っていたステイシーとジャックの娘が行方不明になった。完全に消息を絶っていた。ところが、このたびその死体が発見され、なんと、他殺であることが判ったと警察は言ったというのであった。
「殺人? どうして殺人なの? どうして殺人だって判ったのよ。犯人が見つかったっていうの?」
「ウウウ…知らない。知らないわ。なんにも知らないのよ、なんにも」
ステイシーが首を振った。
「それだけのことなの。殺人らしいとだけ言ってなんにも教えてくれないの」
(続く)