2017年6月1日 第22号
イラスト共に片桐 貞夫
「わかった。あんたたちの言おうとしていることは分かった。近いうちに別の場所で話し合おう。今日は日曜日だ。一緒にピクニックを楽しもうじゃあないか」
『中絶は殺人だ! 胎児だって人間だ』
デモ行進の者たちは聞く耳がない。
「僕たちは中絶をしたくてしてるんじゃあない。妊婦たちに自由を与えたいんだ。選択の自由を与えたいんだ。中絶が不法だったためどれだけ多くの女が泣き、人生を棒に振ったかわからないんだ。妊婦たちのためを思ってやっていることなんだ」
「もういい」
エーデルマンが吐き出すように言った。
「言ってわかるような連中じゃあない」
『胎児だって人間だ! 中絶は殺人だ』
もうデモ隊は、蘭子たちの耳穴にどなり込まんばかりに叫んでいる。バーベキューどころではなくなっていた。
「アイアムソーリー」
エーデルマンが立ち上がってふたたび蘭子に詫びた。
「せっかくだっていうのにこんなことになっちゃって」
そして、エーデルマンは輝昭たちに手を挙げて別れを言い、立ち去っていった。デモする者の半分がエーデルマンのあとをついて行った。
『胎児だって人間だ。堕胎は殺人だ!』
デモ隊は半分に減ったが執拗に示威運動を繰り返している。輝昭とチャッドが中絶医であるということをデモ隊が知っているということは歴然であった。
「どうやら引っ越さなくてはならないようですね」
チャッドが蘭子に言った。キリスト教徒なのだろう海水浴客の中にはデモに参加する者がいる。暴行に走ることはないようであるが、もう、このままバーべキューをしていることはできなくなっていた。
六、
気の抜けたような三日が過ぎた。
蘭子はいちばん下のジョージエットを連れて家を出た。バスと地下鉄を乗りついでトロントの繁華街を歩き、エグザビションパークからオンタリオプレイスの公園まで足をのばした。
血がつながっていないどころか、肌の色まで違う「孫」を認めることはつらい。しかし輝昭がわが子のように可愛がっている様子を見ているうちに、蘭子は情の発芽を感じ出していた。輝昭が言うまでもなく、三人の子が哀れな宿命を背負っていることは蘭子にもわかる。望まれることもないまま母親の腹に宿り、この世に生み捨てられた幼児たちであった。
「ジョージエットの目はきれいなのね」
オンタリオプレイス公園の湖上レストランで、向かい合って坐った蘭子が言った。
「本当のことを言うとね、グランマ( おばあちゃん)、いつもジョージエットみたいな目が欲しかったの。まん丸で真っ黒に光ってて、ジョージエットの目はグランマの一番好きな目よ」
ジョージエットがえくぼを作ってにっこりと笑った。
「ジョージエットは大きくなったらなにになるの?」
「ドクター」
ジョージエットが即答した。
「ドクター? ドクターになるの?」
「うん」
「どうして」
「女の人を助けるの」
「女の人?」
このとき蘭子はジョージエットの意味していることを知った。ジョージエットは産婦人科医のことを言っている。「中絶」がどういうことか解らないまま、父親の仕事が女を助けることと盲信しているに違いなかった。
「そう? お父さんみたいなドクターになるのね」
「うん」
「そうねえ、お父さん、毎日毎日、女の人を助けてるもんねえ」
蘭子は恥ずかしさを覚えた。たった五才の子供の言葉に相づちをうちながら、あらためて輝昭の選択した人生の意義を思い知るのだった。
「グランマ、応援するわ。ジョージエットがお父さんみたいなドクターになるんだったら、どんなことをしてでも応援するわ」
蘭子の言葉にジョージエットがにっこりと笑ってうなずいた。
ジョージエットの小さな手を引いて帰宅すると、蘭子を驚かせる小事件が待っていた。
キッチンでテレビをつけっぱなしたままクリスティーンがポテトの皮をむいている。上の二人の子はどこかに遊びに行ったのだろう姿がない。
「楽しかったわ」
(続く)