2017年6月8日 第23号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

 蘭子がジョージエットの肩を抱いて言った。

「どこまで行ってきたの」

 クリスティーンがニコリともしないで訊いた。

「ほうぼうよ。オンタリオプレイスも見てきたわ」

「よく、あんなところまで行ってこれたわね」

「ジョージエットと相談しながら行ったのよ。ねえ、ジョージエット」

「うん」

「そう」

「そうよ。ジョージエットが地下鉄のチケット買ったのよ。一緒にピザを食べたのよ」

「よかったわねジョージエット」

 クリスティーンが分厚い唇に笑みを浮かべてジョージエットのほうを見た。

「知らなかったわ、ジョージエットがドクターになりたいと思っているなんて」

 クリスティーンとの会話を絶やすまいと蘭子が続けた。いつものことであった。

「こんなに小さくても親のやっていることは見てるのね。感心しちゃったわジョージエットには」

 そのときテレビがニュースになったのだろう、聞き覚えのある単語が蘭子の耳に入ってきた。

『現場調査を続けているバンクーバー警察特別発掘隊は、新たなる遺体を発見した』

 画面はある家屋を写し、風景を写している。小型ブルドーザーの作動する景色のあとに、ある男の顔が大写しになった。

『これでエドモンズ苗木場で発見された人骨は二十七柱になる。当警察は被害者の身元確認に焦点をおいているが難航しており、まだ現在のところ、被害者がバンクーバーのイーストエンドから消えたコールガールの一人であるかどうかは判っていない』

 「初老」の顔が画面から消え、別のニュースになった。

「ひどい事件ね」

 蘭子が言った。例の事件である。飛行機の中で知ったイタリア系の夫婦に知らされたバンクーバーのコールガール大量殺人事件である。

「ひどい人間がいるのね。カナダに殺人なんてないと思っていたのに」

 蘭子は言葉をつなぎながら言った。そして、クリスティーンからの反応がないので、手持ちぶたさにゴミ箱に近づいた。地下鉄の切符やら、見古したパンフレットがポケットから出てきたのだ。

「あっ!」

 ふたを空けた蘭子が声を上げた。ゴミ箱の中に異物がある。

 死骸である。それは数羽のひよこの死骸である。いや、まだかえる前の羽毛のないひよこで、粉々に割れた卵の殻におおわれたものであった。

「なにこれ!」

 震驚する蘭子がやっとのことで言った。ジョージエットもゴミ箱の中を見た。

「アイアムソーリー」

 クリスティーンが謝った。

「見えないようにしておけばよかったわね。昨日の夜、誰かが投げていったのよ」

「投げていった?」

 これからひよこになろうとする卵を投げていった…

 蘭子はゴミ箱のふたを閉めるとカウンターにもたれ寄った。胸がどきんどきんと鳴っている。

 むろんこれは、中絶クリニックをする輝昭への嫌がらせである。かえるまえのひよこを中絶される胎児にたとえ、医師の私宅であるこの家に投げつけたものに違いなかった。

 蘭子は胸に手を当て、大きく息を吐いてからクリスティーンを見た。そしてジョージエットを見た。二人は心配そうに蘭子を見ているが恐怖を抱いているようではない。

 二人の表情を見比べてから、蘭子が堰が切れたかのように訊いた。

「は、はじめてのことじゃあないのね。はじめてのことじゃあないのね、クリスティーン」

 ひよこの死骸を拾い集め、ゴミ箱に捨てたのはクリスティーンに違いない。そうしたさまをジョージエットは何度か見たことがあるに違いなかった。

「よ、よくあることなのね!」

「初めてのことじゃあないわ」

 クリスティーンがしぶしぶ認めた。初めてのことじゃあないということはどういうことなんだろう。どういう嫌がらせが、どのくらい頻繁にあるのだろう。

「クリニックは、クリニックはどうなの? クリニックにもこうした嫌がらせはあるの」

「ううん」

 クリスティーンが首を振って否定した。

「クリニックは問題ないわ」

(続く)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。