2017年6月29日 第26号

 数年前から、あるきっかけで新渡戸稲造にのめり込みました。日本に行ったときは、彼の生まれ故郷の盛岡まで足を延ばしたり、ゆかりのある伊豆・下田を訪れたりしました。そして去年は台湾まで、新渡戸稲造の胸像にハグしに行ってきました。

 ですから、当然UBC の大学構内にある新渡戸ガーデンには何度も足を運んでいます。庭園の入り口の前で何枚も写真を撮りました。でも最初のころは気がつきませんでしたが、友人から入り口の看板の漢字について質問を受け、気になりました。「新渡戸紀念庭園」です。普通は「記念」と書きますが、「紀念」になっています。ちなみに英語では「NITOBE MEMORIIAL GARDEN」です。

 日本の観光客から、あの漢字は間違っているのでは、と指摘された話も聞きました。早速いろいろ調べてみました。明治や昭和初期は「紀念」も「記念」も同じような意味として両方使っていたようです。でも昭和21 年(1946 年)の当用漢字設定のころから、文化庁の指導もあり、「記念」が一般的になって、「紀念」はほとんど使われなくなりました。確かに、現在の大部分の辞書には「紀念」は載っておらず、さらに「紀念」を誤用として載せてある辞書もあるようです。世代にもよりますが、何となく古風な感じがします。

 今の新渡戸ガーデンは昭和35 年(1960年)に完成しました。この時はすでに「記念」が一般的になっており、なぜ「紀念」の漢字を使ったのだろうか、という疑問が湧いてきました。そして去年台湾を訪れたとき、孫文の「國父紀念館」や「中正紀念堂」など見学しましたが、漢字はすべて「紀念」になっていました。案内してくれた台湾の生徒いわく、漢字は両方ありますが、台湾ではほとんど「紀念」を使っているとのこと。

 さらにバンクーバーの中国出身の友人にも聞いたところ、何となく使い分けており、例えば、結婚紀念日などは「紀念」、でも単なる記念品などは「記念」と書いて、個人差もありますが、間違いなく「紀念」のほうが、心や気持ちが入っている感じがするとのこと。うーん、なるほど。大いに納得である。

 実は、いろいろ調べているうちに、新渡戸稲造のこんな本が見つかりました。1898 年(明治31 年)彼が36 歳のときの著書「農業本論」の冒頭に「亡母の紀念に此の書を捧ぐ」と記してあり、「紀念」を使っています。なるほど、当時は日本でもちゃんと使い分けていたのでは、と感じました。

 末っ子の稲造は母親の愛情を強く受けて育ちました。そして札幌農学校の学生のとき、母の死に目に会えなかったことが大きな後悔でした。そんな母への思いがこの「紀念」という漢字を使ったのでは、と思えてなりません。そしてそれを踏まえて、この庭園の設計者も「新渡戸紀念庭園」としたのでは、こんな思いを募らせています。

 「紀念」素敵ですね。中国や台湾では、この「紀念」のほうが主に使われていますし、日本でも昔は紀念館や紀念碑などのように、使っていたようです。でもなぜ、この漢字「紀念」を使わないようにしてしまったのか、日本語教師としてはとても残念です。

 ここで「外から見る日本語」はしばらく休みをいただき、来月から「カナダで出会った新渡戸稲造」と題して、数回掲載することになりました。新渡戸稲造にのめり込んだ「きっかけ」や国際連盟での活躍、そして台湾との関係など、その知られざる魅力に迫ります。ご期待ください。

 

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新渡戸紀念庭園入り口の看板

 

新渡戸紀念庭園の架け橋の上にて

 

新渡戸稲造 21 歳の決意

 

石灯篭(1935年日本で製作)

 

台湾の許文龍氏から寄贈 (2014年)

 

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