2018年9月13日 第37号

 「ママ、あの人がねぇ、ママと一緒に写真撮りたいんだって」。息子が言った。そこに、にこやかにほほ笑む「真〜っ黒な女性」が立っていた。アフリカから来て、現在はイタリアに住んでいる女性だ。80歳の老女、いつの間にか79歳の老婆は、このツアーの参加している間に80歳になっていた。「ミセス ホイ、テイク マイ アーム。」14歳のインドから来た少女が腕を貸してくれる。「Mrs. Hui 貴方顔にしわがないねぇ」と言いながら近づいて来たブラジル人の女性、私の顔に手を触れた。また、他にそれは素敵な笑顔のカップル、トロントから来たと言う。まあ、いろいろな国籍の人が、この12時半から6時半までのプラハ徒歩ツアーに集まった。ガイドさんが熱心で、多分60歳くらいだろう、白髪の女性。6時間半のツアーが結局彼女の熱意で、終了は8時半だった。ああ疲れた!

 途中、シャンペンを飲みながらのリバークルーズがあり、昼食もあったから座ることは2、3回あったが、ほぼ1日中歩いていた。1993年、チェコスロバキアがチェコとスロバキアの2国に分裂直後、オーストリアを旅行中ウィーンまで一緒だった友達と別れ、私は一人(何の理由か忘れた)スロバキアにバスで行き、友人たちはプラハに行った。その時、プラハにもとても行きたかったのだ。そして、やっと25年後に息子が同行し、今回それが実現できた…と言っても今回の旅目的はプラハでなく、ワルシャワだった。最終目的地はポーランドのワルシャワだ。前回、この「老婆のひとりごと」で「老婆の下宿人」のことを書いたが、彼らは下宿人でないが、老婆の賃貸コンドに1年半住んでいたポーランド人のカップルだ。彼らから「自分たちは一時帰国し、母国で結婚式をあげるので来てほしい」と招待を受けた。男性はバットマンだとか◯◯マンのデザインを考案しては、マーケットに出しているIT技術者で、昨年グループでオスカーを受賞している。その2人の招待で、息子と友人一人を誘い、3人旅になったのだ。旅は素晴らしい体験の連続だったが、帰宅してしみじみ思ったのは「ああ、Vancouverがいい、我が家が一番いい!」それが正直、この老婆の実感だった。これは老齢だからなのかしらねぇ。

 そして、昨日は日系センターでの日系祭りに、若い女性2人と行ってきた。本当にどっぷりと身体全体、心の隅々までこの老婆バンクーバーに溶け込んでいると思った。バンクーバーが好きでたまらないのだ。特に外国旅行した後はそう思う。日系祭りは例年通り大盛会。知っている人に次々会う。特にこの「老婆のひとりごと」の読者が声をかけてくださるともうたまらなく嬉しい。随分、単純な自分だと思うが仕方がない。途方もなくバカで単細胞の老婆だ。最近「賢く生きるより、辛抱強いバカになれ」山中伸弥、稲盛和夫両氏の対談を読んだ。そういう影響もあるかなぁ。幸い会場で、老婆の尊敬する◯◯領事とお会いでき、いろいろ話しながら領事館員席に座らせていただき、ステージの真ん前で不思議な「Tomonosuke Ninja Demonstration」を観ることができた。「不思議」と言っても、それは厳しい十数年のトレーニング結果である。彼らのその巧みな技術と「センス of ユーモア」に観客は声をあげ、笑い、返答した。全会場の観客の心をほぐし、その場を温かく包み込み、居心地よくしてくれたよなぁと老婆は思いながら去りがたい会場を後にした。

 そうそう、もう一つ、2年前、この地で命を落とした古川夏好ちゃんが好きだった日系祭り。母恵美子さんが娘を偲んで参加したいと言い、昨年いらしたが、どうも今年は9月末から10月にかけ、最終裁判のため時期をずらして来加、日系祭りに参加できなかったようだ。年々開催を続ける度に盛会さを増していく日系祭り。今年は会場が狭くさえ感じるようになってきた。毎年、老婆が好きなのは、優しく、明るくてきぱきとみんなのお世話する大勢のボランティアだ。驚いたことに、まあいろいろな人種の人がいた。まったく日本語の話せない中国人の若い女性にパーキング場入口で世話になり、次に車をパークしてエレベーターの所では(どうもインド系の)青年に助けられ無事入館できた。

 つまり異なる人種の人たちにも愛される日系センターと、その幅が広くなってきているのでしょうか?そういう感じがしたのですがねぇ。皆、笑顔で優しく、いいなぁボランティア、そして、老婆はつぶやく「楽しい1日、心から有り難う。」

許 澄子

 

読者の皆様へ

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