2018年7月26日 第30号
ポロロン、ポロロン…目の前の豪華なハープから優しい音が流れ出る。
今日はこのコスモスセミナーで今シーズン最後の催し物、大竹美弥さんのハープに関する「講演会」だ。
美弥ちゃんと一緒にもう一人のハーピストがスクリーンを見ながら、ハープの歴史や多種類のハープの現物を見せ、話は広く深くなっていった。係員の心遣いで難聴老婆も最前席に「ありがたく」座らせてくれた。スクリーンを見ながら文字も読める。そうして、講演は始まり、時々、ハープの演奏が入る。そのハープの美しい音を聴きながら、老婆の思いは遠くどこかへ飛んで行った。
そうだ、あの東日本大震災だ。義援金募集「ハープ演奏と桐島洋子のお話会」、東日本大震災募金のための冬の旅だった。美弥&香織姉妹のオーガナイザー2人の母、大竹加代さん、作家の桐島洋子先生、そして、この老婆も一緒だった。宮城大学には立派な劇場(講堂)があり、毎年末仙台市の人達数百人が第九の大合唱を行うと聞いた。ハープ演奏会はそこでも行われた。それは大雪の日だったが、観客はいた。一所懸命、演奏する美しいドレスのかわいい大竹姉妹のポロロン、ポロロン、ハープの音。今も目を閉じると聴こえてくる。演奏後の夕食会で加代さんが、香織はあるアクシデントで小指先を失ったと皆に話した。それで続けていたピアノ演奏ができなくなった。小指を使わず演奏できる楽器は?といろいろ探し「ハープ」に決まったそうだ。ハープは小指の先がなくても演奏できる数少ない楽器だった。今回の講演会に香織ちゃんはいなかったが、老婆にはこの姉妹の美しいハープ演奏がいつも世界中飛び回り多くの人の心を捉えているのを知っている。懐かしい思い出はいっぱいある。
昨日新報社からメールを受信。「バッツ操さんへ電話をして下さい」。でも老婆は彼女を知らない。ずっと以前彼女から「飲み薬の難聴治療薬」のブローシャーが新報宛てに送られ受け取った。無論お礼状は感謝と共に送信。「よく気がつく優しい方だ、ありがたい」と思った。また、なぜか彼女の名前を老婆は覚えていた。多分、彼女も新報に時々エッセイを書いているので、それを読み、記憶していたのだろう。さっそく、電話番号をもらい電話した。彼女は絵描きさんだった。嬉しかった。そして「88歳?」と聞くと「いいえ、もう89歳です」と答えた。元気ではきはきしていること気持ちが良い。そして、絵の話になると「いらっしゃい、教えてあげるから」とまで言ってくれた。そして、彼女は絵を描くだけでない、コーラスもするという。人間に生まれ、歌もダメ、絵もダメ、字を書くのさえ右手指3本痺れてミミズの這ったような字しか書けない、情けないこの老婆。思わす「バッツさん、いいですねぇ、羨ましい!」と言った。
そして、「昔話」。この老婆、小学生の頃から絵が大好き、特に映画俳優の似顔絵なんて得意中の得意。従妹の一人が私のファンだった。そうして高校から大学に進むとき、美術の老先生が「◯◯美術大学」を推薦するからと我が家まで、私の親を説得に来て、母に美大へ行かせるように話してくれた。そこで母はこういった。「先生、わざわざいらして下さり有り難うございます。でもね、女手一つ、4人の子どもと老人(舅)を抱えて娘一人『看板かき』にするために出すお金はありません」そう言ったのです。
そして、老婆は絵描き(看板かき)になることは諦め、お金のもうかる職業に就くことを真剣に考え、当時は給料の良かった、それに大好きでもあった憧れの航空会社に入ったのですがねぇ。母は亡くなる前に「澄ちゃん、美大に行かせてあげればよかったねぇ」と一言、言ってくれました。「芸術は生きる喜びを、お金は虚しさを教えてくれる」と老婆は思っている。数年前、「音楽の会」でドイツへ、作曲家の遺跡を訪ねる旅をした。ベートーベン、ワーグナー、バッハ、モーツァルト等など、いろいろな作曲家の遺跡を訪ねた。そして、今も思うのに、経済的に恵まれていた富豪の作曲家の遺跡はなかった。先日『ブッククラブ』で画家の話が出た。ゴッホの厳しい生活に触れた。老婆はオペラが好きだ。立派なオペラ歌手や楽団員達は、やはり厳しい生活の中から素晴らしい音楽を学び奏でているのだろう。芸術家の世界、それは無経験者には想像を絶する世界なのかもしれない。
例えば、今ここに一人、45歳の楽器演奏家がいる。彼が5歳で楽器演奏を習い始め、1日3時間練習すると、1年365日で1095時間、そして45年で4万9275時間。普通、コンサートに行くとステージには75名くらいの楽団員が演奏する。つまり観客は4万9275×75名=369万5625時間の努力と才能の結果を聴いていることになる。
生きる喜びを人に与える芸術は、やっぱり『素晴らしいなぁ』と老婆はつぶやく。
許 澄子