2017年5月4日 第18号

 

 

イラスト共に片桐 貞夫

 

 リリアンがチャッドの言葉に添えて言った。

「わたし、チャッドがむしろブリティッシュ・コロンビアに行きたいって言ってたのを憶えているわ。もっともチャッドがマクマスターに入ったのはもうちょっと前だけど」

 どういうことなのだろう。どちらが本当なんだろう。

 輝昭は、高校時代のホームステイプロジェクトでバンクーバーに来ると、街を包む緑の大自然に惚れた。アウトドアスポーツの好きな輝昭にはバンクーバーが理想的な街に見えたのだ。その証拠に輝昭はブリティッシュ・コロンビア大学に通いだして半年もしない内に両親に、日本を捨ててバンクーバーに家を買えと、本気で提案したことがある。本人自身は永住すると宣言し、バンクーバーの素晴らしさを何度も繰り返したものであった。ところが一年もしない内に輝昭はトロントのマクマスター大学に移った。カナダ第一を誇るマクマスターの医学部で学位を取りたいというのが理由であったはずであった。  

 

   五、

 輝昭が子供達全員を伴って帰ってきた。

 子供たちが、喉が渇いた、お腹がすいたとアイスボックスを開けた。

「おいおいおい、もうすぐバーベキューだぜ。飲み物はいいが、あんまり食べちゃあいけないよ」

 輝昭が言った。

「テルアキがブリティッシュ・コロンビアに行っていたとは知らなかったよ」

「え?…なんだ、まだそんなこと喋ってるのか。いや、ブリティッシュ・コロンビアの方が入りやすかったから足がかりにしただけだよ」

 テルアキとチャッドの応答を聞いて、はなしが違うと蘭子は思った。先ほどチャッドは、当時はブリティッシュ・コロンビアの方が上だったと言い、ブリティッシュ・コロンビアの方が入り易いわけはないのだ。

 と、そのとき、チャッドとリリアンが上体を立てて左方向を見た。五、六人の男女が海水浴客の中を歩いている。それぞれプラカードを頭上に掲げ、右に左にと方向を定めない。先ほど蘭子が目にしたグループであった。

「偶然なのかしら」

「いや」

 チャッドがリリアンに首を振った。

「ちがう。偶然じゃない」

 そして、どう思うかと輝昭の意見を訊いた。

「どっちでもいいさ」

 輝昭はその六人のことを知っていたのか顔も上げずに言った。

 子供たちがふたたび水辺に行くことを言うと、輝昭がルパートとポールに、ジョージエットの面倒を見るんだぞと言った。

「偶然じゃないわね、残念ながら」

 リリアンが言った。

 「グループ」がこちらを意識して歩いていることは歴然となってきた。かなり離れてはいるが、その歩行がこちらの存在を中心にしたものに思えるのだ。

「こんなところでデモられるか」

「連中は判るんだ。どういう訳か分かるんだ」

「どうやって分かるんだろ。スパイでもいるのかな」

「分からない。だけど連中にはわかるんだ。僕たち中絶医が、どこでなにをやっているか筒抜けなんだ」

 チャッドと輝昭は、「グループ」の行動を輝昭たち中絶医に対するデモ行進といっている。二人の会話を聞いて、蘭子は不気味な思いにかられるのであった。

 夫が急死してまだ何ケ月も経っていない頃であった。思わぬことが蘭子の耳に飛び込んできた。輝昭がトロントの郊外で開業していたことが分かったのだ。それがなんと「妊娠中絶クリニック」であった。

 日本は世界でも数少ない妊娠中絶天国で、中絶は日常茶飯事である。しかしカナダやアメリカは違う。キリスト教徒が大半を占める欧米諸国での妊娠中絶は重大な社会問題で、堕胎はタブー中のタブーであった。このため多くの悲劇が発生したが、どうしても腹の中の子を堕ろさなければならないときは、母体の危機を理由に医師の許可を得るか、闇で開業する中絶医に頼るしかなかったのであった。

 ところが一九八二年、カナダの医療界に一大変革が起こった。もう、何十年も前から「プロチョイス」、つまり、「妊婦に中絶の選択権利を与えよ」という運動が起こっていたのだが、それが認められたのだ。妊娠中絶がはじめて合法化されたのであった。当然、キリスト教団体を中心とする反対ののろしがカナダ全土に巻き起こった。それはプラカードを掲げて「反対」の意を唱えるということもあったが、急進派の多くは中絶医師、または中絶しようとする妊婦を殺人者扱いにし、天罰とばかりに刃傷暗殺沙汰にまで発達していくケースが頻発し出したのであった。

(続く)

 

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