2019年3月7日 第10号
大学入学をきっかけに上京し、卒業後も郷里に戻らず、そのまま就職。職場で知り合った人と結婚し、生まれた子供達の手も離れ、ようやく夫婦だけで旅行に出かけることができるようになりました。そんな矢先、郷里で一人暮らしをしている母親が、骨折して入院。それをきっかけに、介護が必要になり、要介護認定を受け、現在「要介護2」。悩みに悩んだ末、母親の介護のために、住み慣れた東京を離れ、約30年ぶりに郷里に戻ることを決めました。会社は退職し、地元で就職先を探すつもりで、東京を後にしました。しかし、親のためと思って決めた「Uターン介護」。本当に親のためになっているのか、疑問を感じ始めています。
仕事を辞めて実家に戻り、まず始めたのが新しい職探し。退職金と失業保険でなんとか食い繋いでいる間に、以前と職種は違っても、選り好みをしなければ、なんとか正社員の仕事が見つかると思っていました。ところが、40代も半ばを過ぎているうえ、介護を行うために残業はできず、通勤時間のかからないところなどの条件が多かったせいか、契約社員の口さえもなかなか見つからず、ようやく見つかったのが、近所のスーパーのパートタイムの仕事。収入は、以前の半分。非正規雇用になるため、福利厚生はありません。
実家に戻った当初は、久しぶりに戻ってきたことを喜んでくれていた母親でしたが、同居を始めて暫くするうちに、母親と連れ合いの折り合いが良くないことが原因で、家の中の雰囲気がなんとなくギクャクし始めました。それまで家事全般を一人でこなしていた母親は、骨折して入院したことをきっかけに、思うように家事をこなせなくなっていました。そんな母親の体を気遣って、同居を始めた家族が代わりに家事を行うようになり、家の中での役割が少なくなった母親は、自分の部屋でテレビを見ることが多くなりました。
介護認定を受けたことで、介護保険によるサービスが使えるようになりましたが、ここにも予想外の落とし穴がありました。一人暮らしをしていた頃、母親は、介護保険で週に何回か、掃除や食事を作るホームヘルプのサービスを利用していました。しかし、このような家事援助のサービスは、本来、独居世帯や高齢者のみの世帯を対象にしたサービスのため、同居の家族が代わりに行えるという理由で、サービスが打ち切られてしまいました。同居を始めるまでは、ホームヘルパーと一緒に買い物に行ったり、食事の準備をすることが、外出のきっかけや気分転換だけでなく、脳の刺激にもなっていました。食事の準備だけでなく、結局、なんでも家族がしたことが、母親がまだ持っていた「できる力」を衰えさせる原因になってしまいました。
いずれ、介護施設に入ることも検討していますが、そこでも介護する家族がいることが、選択肢を狭める原因になっていることがわかりました。例えば、介護保険で比較的安く入居できる「特別養護老人ホーム」の場合、入居は申し込み順ではなく、緊急性の高さで優先順位が決まります。家族が身近にいる、それも同居している場合、緊急性は低くなります。
母親のためになると思って決心した「Uターン介護」。ここにきて、改めて介護の計画を練り直す必要に迫られています。担当のケアマネージャーと相談しなくてはなりませんが、日中はデイサービスなどを利用することで、母親の生活にメリハリが生まれるのではないかと思っています。仕事を辞めて介護に専念しても、いずれ生活が立ち行かなくなることは明らかです。仕事は辞めずに母親の介護を続けるには、プロの手を借りることがどうしても必要だと感じています。いろいろなストレスを抱えた子供が介護するより、プロが介護するほうが親のためになるとも思っています。もしかすると、東京に戻ることも選択肢なのかもしれません。
「Uターン介護」。まず、親子それぞれの生活や幸せを十分考えてから、決断してください。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定