2019年9月19日 第38号

日本国籍取得の横綱白鵬

 日本では令和元年初の秋場所が、今月8日に両国国技館で開始された。幕開けでの大きな話題は、モンゴル出身の“あの横綱”白鵬(本名:ムンフバド・ダバジャルガル)が、日本国籍を取得して初めての本場所にもかかわらず、まさかの黒星スタートだったことだ。とはいえ、その時点では、まだ22日(日)まで続く勝負の結果がどう出るかが見ものであった。しかし不運にも初日の勝負で右手小指を骨折。二週間の加療のためあっけなく休場してしまった。

 私は「相撲ファン」などとは到底言い難く、良くも悪くも余程話題に上る力士以外は、顔と名前など全く一致しない。しかし白鵬ほどになれば、特別に相撲ファンではなくとも知らない日本人はいないだろう。

 だが何といってもこの初日の黒星は、彼にとってどれほど痛かったか想像に余りある。人生の大きな節目である筈の「日本国籍取得」という直後であったことで、せめてその第一日目は白星で飾りたかったに違いない。

 これは勝負の世界は、そう思い通りにはいかないことを、嫌が上にも知らされた出来事だった。

 報道によれば、彼が日本国籍を取得する決心をしたのは、将来引退した際に相撲協会に残留し親方になるのが希望であったからだという。こんな規則を設けたのは1976年で、理由は明らかではないとのことだが、親方となれば協会の運営にもかかわる立場となるため、外国出身では指導が疎かになると懸念したからとか。

 だがここで私は「待てよ?!」と思った。確かに日本の国技である相撲の年寄りともなれば、日本国籍を義務付けるのは分かる。とはいえ、何故出身国の国籍を捨てなければいけないのか。白鵬関が重国籍でいけない理由はどこにあるのだろう。

故ドナルド・キーン氏の場合

 当然ながら何らかの個人的実情や信条によって生まれ持った国籍を捨てる理由があるのなら別だ。

 例えば今年二月に89歳で亡くなった米国出身の日本文学者ドナルド・キーン氏は、平成23年(2011)に日本に帰化した。日本人との関わりの中で日本人特有の優しさに何度も触れ「自国籍を捨て日本国籍を得るのは、私の感謝の気持ちです」とインタビューに答えていた。その思いを決定的にしたのは、他でもない「東日本大震災の人々」の行動であったという。

 だが彼とて、もし日本が重国籍を許可しているのであるなら、果たして米国籍を放棄しただろうか。最もその後現れた支離滅裂な現大統領が支配する国になってからは、温厚な氏のこと、捨てたことへの心残りは微塵もなかったに違いない。

生まれ育った国は絶対に忘れない

 話を相撲界に戻してみると、白鵬の場合には妻は日本人で4人の子供がいる。となれば、引退後の人生も相撲界に忠誠を誓って誠実にかかわっていくことに疑う余地はない。もしモンゴルの国籍を保持していたら、その思いは生まれないとでもいうのだろうか。

 また100%の確信を持っていえることは、日本国籍を取得したからといって、彼が母国を忘れることなど絶対にあり得ないということだ。また逆に、捨てたが故に、形式上は「日本人になった」であろうが、母国への思慕が一層深まるかもしれない。

 相撲界では白鵬の様に外国出身で親方になったのは9人いる。その先駆けである高見山が、古いしきたりの中の生活にも負けず、外国人力士として史上初の優勝を飾った時、まだ帰化はしていなかったものの、当時のニクソン米大統領から送られた祝辞に感涙したという。さぞかし嬉しかったに違いない。母国を忘れたい余程の事情がない限り、生まれ育った国への思慕は簡単に消えるものではない。

 この思いは、日本だけに住んでいる日本人には分からない感覚であろう。カナダにも日本から移住している人は星の数ほどいる。だが何らかの深い理由がない限り「日本を捨てた」と言う人はいない。それどころか多くの人が毎年訪日し、中にはシニアになってから日本に逆移住する人さえいる。

 昨年3月にはフランスやスイスに住む30〜70代の日本人8人が、「外国籍を取得したら日本国籍喪失」は違憲として提訴した。内6人は外国籍を取得しているが、訴訟で日本国籍の維持を求め、後の二人は外国籍取得を希望しているが、同時に日本国籍を消失しない確認を求めている。おそらく法務省は、「日本国民は自己の志望によって国籍を取得したときは、日本の国籍を失う」とした現行の「国籍法11条1項」を盾に却下するであろうが、いずれにしても結果が待たれる。

世界の潮流に乗れない日本

 世界を見渡すと、日本のように重国籍を禁止している国は、アジアやアフリカに多く、2015/16年の経済協力開発機構(OECD)の調査結果を見ると、G7の中で日本だけが出生国の国籍放棄を強いている。

 昨今の日本では、国際結婚の増大によって重国籍の子供が生まれることなど全く珍しいことではない。加えて少子高齢化で将来の働き手の減少が恐ろしいほど加速しているにもかかわらず、「移民はご法度」の一時滞在の労働力に頼っている。

 移民法、国籍法の早急の対応が望まれる。

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。