2019年10月17日 第42号
第9回ラグビーワールドカップ2019は、予定通り9月20日に日本で開始されて以来、大変な賑わいと盛り上がりを見せている。日本ではサッカーに比べその人気は今一と言われていたが、そんな風潮は今や何のその。11月2日の最終日を迎える迄、日本列島は沸きに沸いている。
例え細かいルールなど知らなくても、選手たちが一丸になって体ごとぶつかって行く凄まじさは尋常ではない。どんなスポーツ音痴でも、その迫力には圧倒され選手とボールを追って一喜一憂してしまう。
最終的にどこの国が勝利するかの予測は不可能なことだが、こうした世界規模の戦いは、選手たちに大変な試練を強いるであろうし、同時にさぞや大きなお金が動くのだろうとも想像する。
日本は来年オリンピックも控えており、大規模なスポーツ大会が二年にわたって開催されるわけだが、その後に起こるかもしれない「宴のあと」の空虚感が怖い。
日本の国歌「君が代」
世界中を巻き込むこうしたスポーツ大会を観ながら、いつも思うことがある。それは試合開始前のはやる気持ちを抑えながら、又は勝利した国や選手(たち)が表彰台に登る時、それが日本のチーム(選手)であった場合、ハッキリ言って、日本の国歌は何と高揚感を削ぐテンポだろうか、ということだ。
今ここで詩歌の意味についての賛否は問わないでおく。残念ながら現在の日本では、「国歌・国旗」に関して公の場で語るのは危険視される傾向にあるからだ。
ただ音楽的視点から見て、あのスローテンポの国歌を選手(たち)はどんな気持ちで聞き、それに併せて歌詞を口ずさむのだろうか。スケーターの羽生結弦選手、体操の内村航平選手、レスリングの伊調馨選手、加えて総勢31人の内15人が外国人選手を抱えるラグビーチームなどなど。
私はそんな有名選手たちを個人的に誰も知らないため、一度も心の思いを聞いたことはない。だが天皇制を云々することに繋がる国歌については、有名な選手ほど心の内を絶対に口にすることはないだろうと思う。
そんなことをフツフツと思う時、過日朝日新聞の投稿欄に以下のような声が寄せられた。割愛すると「さんざん議論されてきた国旗・国歌だが、今や触れること自体がタブーの感がある」と書き出し、歌詞について彼の個人的思いを述べた後「テンポが遅すぎると感じる人も少なくないのではないか」と結んでいる。私一人の思いではないことが分かった。
カナダの国歌「O,Canada」
さて今回のラグビー戦でのカナダ選手たちの活躍はどうだろう。10月2日の対ニュージーランド戦などはメッチャ負けの63:0。
だがその国歌である「O Canada」はと言えば、誰にでも容易に愛される歌詞と軽快さが心地よい。それでも2018年には「True patriot love in all thy sons command」が「True patriot love in all of us command(我らすべてに流れる真実の愛国精神)」に変わった。部分的な歌詞の変更は初めてではないが、今回は「sons」が男性のみを指し男女平等の精神に反するからというものだった。
カナダはたかだか150余年の歴史しかなく、多くの移民で成立している国であるがゆえに、国歌にまで柔軟な姿勢が表れていることに驚かされる。
とはいえ子供のころから慣れ親しんだ国歌ではないため、日本から移住して長らく住んでいても、通して諳んじるのは難しい人も多い。面白いのは日加の何らかの行事で両国の国歌を歌う場合、歌詞を覚えている人はさも得意そうに、うろ覚えの人に向けて口をことさら大きく開けて見せびらかすように歌う人がいることだ。何やら「どうだ、すごいだろ!」と言わんばかりでいつも苦笑させられる。
さて再度日本の国歌に戻るが、せめてスポーツ祭典の「君が代」はテンポを倍の速さにしては如何なものかと思うのだが…?
サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)