2019年6月20日 第25号

 去る6月15日(土)にビクトリア日系文化協会は創立25周年を祝い、ダウンタウンのインナーハーバーにあるHotel Grand Pacific で盛大な祝賀パーティーを開催した。

 当日は雲一つない晴天に恵まれ、初夏の日差しや海からの爽やかな風がホテルに流れ込むのを心地よく受けながら、集まった60人ほどの会員は和気藹々とお互いの近況を確かめ合い元気にこの日を迎えられたことを喜び合った。

 パーティーは、去年の秋に行われた地方選挙で再選された来賓のリサ・ヘルプス(Lisa Helps)ビクトリア市長の心の篭った挨拶から始まった。

 当市には日系人にとって非常に歴史的に意味の深い桜が、市内のあちらこちらに植えられている。市民は勿論のこと、世界各国からの訪問者の心を和ませる春の風物詩としてとみに有名である。

 とはいえ今年の春には、この桜が温暖化などの影響で生育が危ぶまれており、市が一掃しようとしている等の噂が流れ一時日系社会を震撼とさせた。だがこの祝賀会でヘルプス市長はそれをきっぱりと否定し「そういう事は絶対にない」と断言し出席者の喝采を浴びた。

 この桜には日系秘史がある。すでに80余年も前のことになるが、1937年に市政75年を祝う祝賀パレードで、日系人たちが協力してピンクのちりめん紙で沢山の桜を作り、着物を着た可愛らしい子供たちと共にフロートを飾った。パレードは昼夜二回行われたが、市民に大変に好評で日系コミュニティーは300ドルの賞金を得たのである。

 当時のお金で300ドルとなれば大金だが、それを彼らはビクトリア市に返上し、日本から桜の苗木を出来るだけ沢山買い市内に植えることを願い出た。

 それが功を成し今では市内の無数の場所に、日本を象徴する美しい桜が爛漫の春を彩りビクトリアの町をピンクの花びらで埋めるのである。ところが悲しいことにその苗木が成長して花を咲かせるのを、強制収容所に送られた日系人たちは見ることが出来なかった。だが50年後に元ビクトリア市民だった72人が「リユニオン92」と称して当市を訪れて旧交を温め、また市庁舎前に日系人の悲話を簡単にまとめたプラグを掲げたのである。

 その意味ある桜が、市長によって守られると断言されたことはまたとない祝言であった。

 続いてVNCSの現会長であるツギオ・クルシマ氏が、「これからの25年も今までの様に活気ある会である事を願っている」との挨拶をした。また後のインタビューで氏は、最近は日本からの移住者の人たちが、当会に興味を持ってくれているのが心強い事や、分科会の生け花、茶道、太鼓、踊り、日本語クラスなどのグループが活躍している事が非常に嬉しいと頬をほころばせた。同時に今後は、もっと若い人たちを育成することが大事とも強調していた。

 会食後は、日系三世の俳優テツロオ・シゲマツ氏の一人芝居が上演された。自身のバックグラウンドを絡め、日本にルーツを持つ祖父・父そしてカナダ育ちの息子との生育の違いによって起こる複雑でほろ苦い心の葛藤を描いた『Empire of the Son』に大きな拍手が送られ、3時間にわたる祝賀会は幕を閉じた。

 

祝賀会の会場風景

 

祝辞を述べる来賓のリサ・ヘルプス ビクトリア市長

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。