2019年1月17日 第3号

日加間の姉妹都市の数

 読者は、カナダと日本の間には一体どの位の姉妹都市関係(Sister City)が結ばれているかご存知だろうか。

 東京のカナダ大使館の資料によると、2018年8月現在71都市という驚くべき数字が発表されている。加えて、単に姉妹都市というのではなく、Friendship and collaboration agreementというタイトルで結ばれているケベック市と京都府、またTwinned Provinceという名称によって繋がるアルバータ州と北海道も入れると合計73になる。

 その半数近くにあたる31都市がBC 州にある町々であるのは、地理的な見地から見れば当然と言えるかもしれない。一番歴史が長いのは、大阪の守口市とNew Westminster市で1963年4月に、また一番新しいのは、2008年6月にバンクーバー島のSidney市と岡山県の新見市との提携で、これまた両市ともBC州にある町だ。

 もちろんこの膨大な数の姉妹都市同士が、現在もどの程度お互いに緊密な関係を保持しているかは、個々に当たらなければ分からないだろう。多分この中には、過去に提携はあったものの今はその熱が冷めているという所もあるのかもしれない。

80〜90年代に林立

 だがバンクーバー市と横浜市のように、2015年には提携50周年を祝うため林文子市長が来加し、盛大なレセプションが催された関係もある。今年は54年になるわけで、これは取りも直さず、たゆまぬ強い絆で二都市が結ばれて来たことを物語っており、年月で必ずしも関係が風化するとは限らない良い例であろう。

 さてバンクーバー島はと見れば、7つの市が提携している。歴史が一番古いのはCampbell Riverと北海道の石狩市で1983年に、それから遅れること二年ほどで、1985年にビクトリア市が岩手県盛岡市と姉妹関係になっている。長きにわたって関係を維持するには、双方の並々ならない努力があることは言うまでもない。

 こうした運動が一番活発だった時期は80〜90年後半で、それこそ「我が町も、我が市も」といった具合に関係が林立している。だが2000年代に入ると、カナダ全体を見ても提携樹立は10指がやっとで、BC州といえども3都市の動きしかない。

姉妹都市関係は下火?

 最近、衰えるそんな傾向を顕著に現す出来事があった。

 それは昨秋の地方選挙で選出された、Saanich市(ビクトリア市の北方の市)のFred Haynes新市長の言葉である。当市はRichard Atwell前市長が広島の廿日市市と姉妹都市関係を結ぶことに力を入れていた。昨年4月には日本から廿日市市長が来加し、8月にはAtwell前市長が広島を訪問して毎年6日に行われる平和祈念式典に参加した。

 市庁舎の前には、被爆した銀杏から採集された種からの苗木が植えられており、無事に育つのを前市長が心待ちにしている様子がうかがわれた。

 しかし市長選で敗れたことから、彼は広島への出張費用を市に請求したのであるが、市議会で却下されたという経緯がある。

 その理由としてHaynes新市長は、「自分は広島には何度も訪れており、もちろん核兵器所持に関しては反対の立場にある。姉妹都市関係が数多く結ばれたのは60〜80年代であったが、今はもう人々が自由に行き来する時代で、一つの町と町が結ばれるのはあまり意味がない。今の市にとってもっと重要なのは経済の活性化に力を入れることだ」との意見を述べた。

 この提携の話が持ち上がった昨年5月に、感触を確かめるために私はSusan Brice市会議員にインタビューしたことがあったが、彼女もまったく同意見で提携は望み薄と見た。

 とはいえ姉妹都市は、柔軟な考えを持つ高校生などの若いグループが未知の人々と交換し、異文化を体験できることが一番の長所と思える。

 スローになったとはいえ、火を絶やすことなく運動が継続することを望みたい。

 

Saanich市の市庁舎前には、被爆した銀杏の種から育った苗木(中央)が植わっている

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

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