2018年11月15日 第46号
受け入れは14業種
カナダを定住の国としている日本人が、近年帰国の度に驚くことの一つが、そこここに働く外国人の増加である。一般的には東南アジアからの人が多いように見受けるが、すでに流暢に日本語を話す人もいれば、まだおぼつかない人もいる。「単一民族国家」などと言われた時代を知っている者には、実に目を見張る光景である。
すでにその変化の理由については広く知られているが、何と言っても少子高齢化の日本に、十分な働き手がいないため外国人に頼るほかないのである。
そうした社会の変化は語られて久しいが、にっちもさっちもいかない現状に対し、国もやっと重い腰を上げ、10月24日に召集された第4次安倍改造内閣で、今までの入管法の改正案を閣議決定することに決め、今国会での成立を目指しているいう。
もちろんまだ出来立ての政策であるためあいまいな部分が多いとはいえ、これは使い勝手のいい「工作機械」を外国から導入するわけではない。他国から助っ人として「人間」に来て貰うというのに、改正案の詳細を見るといくつもの難しい規定が設けられている。彼らをいかに管理するかに躍起になっているように見えるのだ。
受け入れ先は、日本人の女性や高齢者の働き手をもってしても埋めることができない分野で、建設、造船、農業、漁業、介護、外食、ビルクリーニングなど14業種に限られている。
「移民政策ではない」と与党は断言し、在留資格の「特定技能」を持つ者を「1号」「2号」の段階に分けている。規制が多少緩い「1号」を見ると、5年の実習技能を終了するか、技能と日本語能力の試験に合格すれば資格を与えられるとしているが、家族の帯同は認めていない。危惧するのはもし既婚者であったら、5年も家族と離れて暮らすのはいかがなものかとまず思う。
また例えば人手不足が言われて久しい介護の現場で、日本の老人たちとの温かい心の交流ができたとしても、難しい日本語の試験に合格しなければ在留資格は認められない。それはあたかも「はい、5年間ご苦労さん、もう結構、故国にお帰り下さい」「日本に来たい人はいくらでもいるんだから」と言わんばかりである。
長い目で見る必要
日本からカナダに来た戦後移住者は、1973年がピークで約1105人であった。一応何らかの資格があるか、あるいは得意とする技術を持っていることが条件だった。だが時代が時代だけに「タイピスト」等というのもその職種に入っていて、規定はとても緩いものだった。
また英語も皆無かしどろもどろの人もかなりいて、夫婦で東京のカナダ大使館での面接に臨んだ際に、移住の理由を「もっとbetter lifeを求めて」と言うところを「I want to have a better wife」と夫が言ってしまったなどの、今思えば笑ってしまうエピソードが残っている。
しかしそうした人々も、到着後は必要に応じてフリーの英語学校に通い、職業訓練も受けられた。そしてカナダ生活に慣れるに従い、社会のどこかに居場所を見つけ、独身者は結婚し、妻帯者も夫婦で頑張り生活の根をしっかりと張っていったのである。
今はその子供たちがさらに結婚したり、ビジネスに邁進したりして「カナダ人」としてこの国の経済発展の一翼を担っている。日本人夫婦の子供で外見は東洋人でも、今もし彼らに「あなたは何人?」と聞いたら恐らく全員が「カナダ人」と答えるだろう。もちろんその後に「でも親は日本人」と説明を付けるかもしれない。だがそれは、二つの文化を持つことに誇りを持って言うのであって、彼らは押しも押されもせぬカナダ人なのだ。
言うまでもなく政策自体が違うので、カナダと日本を単純に比較することなど全くできない。それは百も承知である。
だが一国から人を受け入れるなら、短期的に物事を処理せずくれぐれも血の通った政策を遂行してほしいと思う。3年後には制度を見直すというが、それまでには曖昧さのないしっかりとした「多文化主義の芽」が日本社会に育っていることを期待したい。
「トルドー首相からの祝辞」
「1967年の移民政策法改正後の日本人移住者の歩みをまとめたトロントの記念誌」
サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)