新田康子(にったやすこ)
三重県津市出身。大学卒業後、フランス外資の会社に就職。結婚を機に退職し塾講師になり、教える歓びに目覚める。1990年渡加。バンクーバーで大学に通い4年間かけて高校教諭の資格を修得。現在は、リッチモンド・クリスチャン・スクールで数学、物理、フランス語、微分、積分の特進クラスを教えている。
新田康子さん
—カナダに来たきっかけ
私は中学高校共にミッション系女子校に通っており、カナダ人留学生と友達になり、ずっと文通を続けていました。大学に入り、彼女に会いに渡加しました。2カ月間カナダで素晴らしい経験をしました。新婚旅行もカナダを訪ね、夫もカナダが大好きになり、カナダに住みたいという夢を持ちました。夫のおばから「夢は捨てたら叶わないけど、持ち続けていたら、いつか叶うかも知れないわよ」と励まされました。そして、カナダ行きを決意して自宅を売却。そんな時期に地下鉄の中でカナダ人宣教師婦人に出会いました。
—カナダに来てから
1990年8月に渡加しました。最初は、友人のいたバンクーバー島のナナイモに滞在し、4カ月後にバンクーバーに移動しました。前出のカナダ人宣教師婦人にバンクーバーの日系教会を紹介され通い始めました。そして、1992年に夫婦で洗礼を受ける祝福に預かりました。知人の法律事務所で働いていたその頃、弁護士より「今なら移民できる!」と情報を得て、移民申請しました。全てがスムーズに進み、3カ月かからず手続きできました。大学のフランス語学科卒が移民の点数に加算されました。
—教師の資格取得まで
働いていたフランス外資の会社を結婚してすぐに退職し、塾の先生になりました。教え始めてみると、教えることの面白さや生徒たちの成長ぶりを感じられる醍醐味に惹きつけられました。カナダ行きが決まった時、私は、「そうだ、カナダに行ったら大学に入って先生の資格を取ろう!」と心に決めました。
バンクーバーのクワントロン大学で規定の英語6単位を履修しました。高校の先生になるにはもう一教科教えられることが必須なのでテストを受けると、すぐに大学一年生の数学のコースに入れるレベルでした。最初に履修したのは微分積分のクラス。その時に高校の時には全く興味のなかった数学の素晴らしさの虜になりました。一気に数学のコースを取り続け、規定の単位を習得しました。当時、娘が小学校の時だったので、全ての規定教科を取り終わるのに約4年間かかりました。その間、夫は一言も文句を言わずに協力してくれました。今の自分があるのは、夫の理解と協力のお蔭だと本当に感謝しています。
微分積分の高校特進クラスの最終試験後、
教室で持ち寄りパーティーをする康子さんと生徒たち
—現在の仕事について
リッチモンド・クリスチャン・スクールという私立校に勤めています。幼稚園から高校まで全校生徒は約1000人います。最初は、8年生のフランス語と、10年生から12年生までの数学を教えていました。今はその他に、主に微分積分の授業(高校の特別進学クラス)を教えています。また、教師として働きながら物理の勉強もし、今では物理の授業も受け持っています。この微分積分のクラスは、アドバンス・プレイスメント・テストのクラスで大学の単位が取れます。
—これからの抱負
カナダに来てからは、書道カナダ(トロントを拠点とする書道会)が恒例で開催する競書大会に毎年出展しており、2011年に私の「希望-HOPE-」という作品が金賞を受賞しました。東北の大震災への想いを込めて書いた書で、実際に私の父方の祖父母が被災した時にもすぐ『希望』という書を送り喜んでもらえました。書で人に元気を与えることの素晴らしさを改めて実感しました。
現在は、月に一度、日系センターで書道経験や日本語レベルを問わないワークショップを英語で行っています。基本練習に加え、季節に沿ったカード等作り、アート書道やリレー書道など、書道に興味のある方達みんなに楽しんでもらえるアクティビティを盛り込んでいます。この他イベント参加など、さまざまな活動をしています。
—これからの抱負
今のところ、毎日生徒たちといることが私の生きるエネルギーです。この仕事を引退したら私のストレス解消法であるお料理とお菓子作りを活かしたB&B(民宿)を開きたいです。ストレスで疲れてカナダに来る日本の方などの憩いの場所を作りたいです。
私の手作りの料理でお客様の心が和み、幸せな気持ちになってもらえたら嬉しいです。夫が旅行関係の仕事をしているので、宿泊客の観光案内をするもの楽しいでしょう。実現は難しいかもしれませんが、主人のおばの言葉を胸に刻んで、死ぬまで夢を持ち続けていきたいです。いつか本当に夢が叶ったら、是非、皆さんに私のB&Bに来て頂きたいです。
(取材 北風かんな)