2019年7月25日 第30号

こんな夢をみた。

青空が広がる昼下がり、私は歩いている。

どこだか分からない。でも日本ではない。

それは天気で分かる。

真夏というのにとてもさわやかで、 すごく気持ちがいい。

歩いている人もどことなくのんびりである。

街角にコーヒー店を見つけ、入った。そして 日本語で注文した。コーヒーを待っていると 後ろのほうから日本語が聞こえてきた。

日本人らしき親子3人が楽しそうに話している。

「ここはすごくいいところだね」と中学生ぐらいの 男の子が嬉しそうにしゃべった。

その少年の顔を見たとき、目がさめた。

令和元年8月 夢一夜 修三

 

 家族3人でカナダ・バンクーバーに移住してきたのが1994年の8月。ですから、今年2019年でちょうど25年を数えます。あっという間のような気もしますが、四半世紀、やはりそれなりの長さを感じます。小生50歳のときの移住なので、人生の三分の一をカナダで過ごしたことになり、歴史の重みもずしりとかみしめています。移住した当初は確かにいろいろカルチャーショックもあり、かなり戸惑いも感じましたが、「郷に入っては郷に従え」、すぐに慣れてきました。そして移住5周年(1999年)のとき、家族で「バンクーバーに移住して本当に良かった」こんな結論を出した記憶があります。それから20年、 我々の物差しもかなりカナダ的になり、移住した喜びを積極的に感じています。特に妻は日本特有の「察しの文化」などお呼びでない、多文化共生のバンクーバーライフを大いに楽しんでいます。また息子は中学2年生(14歳)の移住であり、英語など分からず学校ではかなり苦労も、でもグローバルな考え方や視野の広がりを身につけて、現在は日本(川崎)そしてシンガポールやカンボジアで、 「型にはまらない」をモットーに居酒屋「型無」を経営しています。

 さて、日本語教師としての仕事は、もちろん日本語も教えてきましたが、日本語の教え方を教える「日本語教師養成講座」を主にやってきました。ですから生徒は大部分日本からワーホリなどで来ている人で、女性が大半です。今年の7月で360期、卒業生は2800名を数えました。卒業生のほとんどは当然ながら日本に戻ってしまいます。ときどき日本に里帰り。その都度、矢野アカデミーの同窓会を行なっています。卒業生との再会が楽しみ。「結婚しました。旦那と一緒に行きます」や「今度は子供と一緒に」など、うれしい出会いもあり、歳月の流れも感じます。さらに北海道や沖縄から駆けつけてくれる…、筆舌に尽くしがたい喜びです。

 確かに大部分の卒業生は日本語教師とは関係なし、でも中にはバンクーバーで、日本で、そしてアジアの国々やアメリカやメキシコなどで、プロの日本語教師として活躍している卒業生もかなりおり、教師冥利に尽きる思いです。しかし最近は日本からのワーホリ数減少の影響もあり、生徒数がかなり減ってしまい、 矢野アカデミーは経営的には大苦戦。そろそろ引退も視野に、でも日本語を教える楽しさこの上なく、一人でも生徒がいれば、もうしばらく頑張ろうと意気込んでいます。

 移住して良かった大きな要因のひとつに、このエッセイがあります。バンクーバー新報に2001年から「外から見る日本語」と題して毎月書いています。最初はそんな長く続くとは、思っていませんでした。でも大変勉強になり、18年も続いています。確かにネタ探しなどの苦労はありますが、このエッセイのおかげで、ちょっとしたことにもすぐ興味や関心が広がるようになり、最近では、UBC新渡戸ガーデンの「紀念」の漢字や「招き猫」のこと、さらに夏目漱石の左腕の喪章や「こころ」「夢十夜」にのめり込んでいます。また読者の方からの励ましの声もうれしく、もう少し書き続けたいと力が入っています。

 改めて25年間を振り返るといろいろなことが走馬灯のように…、少し感情的になりながら、懐かしく思い出しています。

 

こんな夢をみた。

ここはバンクーバー。

それは天気で分かる。

とても楽しい。

もう数え切れないほどここに住んでいる。

だから、自分が何歳なのかよく分からない。

でもとても元気である。

 

本当にこんな夢が見られるまで頑張りたく、今後ともよろしくお願いいたします。

 

ご意見、ご感想は矢野アカデミー 《ホームページ www.yano.bc.ca》 までお願いします。

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。