2017年11月9日 第45号
1970年4月11日は、米国の宇宙ロケットアポロ13号が打ち上げられて、月への人類到達3度目の挑戦であった。順調に飛行は進み、もう、月が近いという時に酸素タンクが爆発をして異常事態が発生、宇宙飛行士3人の帰還も危ぶまれる状態となった。このアポロ13号は月面着陸3度目の挑戦であったが、その打ち上げはさほど世界の注目を集めることではなかったというが、この爆発事故により、地球ヘの帰還が危ぶまれると、世界のニュースが注目することとなった。地上のコントロールセンターは、はるか宇宙のかなたにいる3人と連絡をとりあってその困難を切り抜けようとするのである。この困難克服方法であるアイデアを、年齢とかポジションに関係なく意見を求めて解決していくところが、僕にはいかにも自由の国アメリカらしいというふうに思われる。状況は異なるが、福島原発事故の危機管理にアメリカと同じような発想があれば、も少し別の解決方があったのではと思われるのは、ぼくの私見である。
さて、アポロ13号の月面への着陸は不可能となるが、その宇宙船は月着陸用の着陸船の小型エンジンを噴射させて地球へ戻ってくるのである。地上のコントロールセンターと宇宙飛行士の不可能と思われる困難を一つずつ克服して地球に帰還してくるドキュメンタリーは思わず手に汗握り力が入る。
三人の宇宙飛行士が、無事に帰還できるかどうかは、その人達の運命の強さのようにも見える。占いを勉強していた友が、宇宙ロケットを打ち上げる日付は占い師によって決めていると言う。この高度に発達した米国の科学社会の中で、しかも最先端をゆく宇宙科学の世界で、占いで日取りを決めるということを僕は半信半疑で聞いていた。たしか、僕がバンクーバーに来た頃、警察は手がかりがなく、その解決方法がなく迷宮入りしそうになった殺人事件の解決策として、占い師にその手がかりを聞いているというニュースを見たことが数回ある。たとえば、被害者の遺体が、どこにあるかさっぱり分からない場合などに占い師に聞くということがあったらしい。これが、是か非か僕には判断しかねるが、少々不思議な気がした。いずれにしても、運命の1970年4月11日の打ち上げは、無事に帰還できた宇宙飛行士にとって運の良い日であったのかもしれない。
この10日後の4月21日にぼく達のグループ40数名を乗せた飛行機は、米国アラスカを経由してカナダに向かっていたのである。そのアルバータ州の太平原での農業実習を目ざしていたぼく達の羽田出発の様子は大手新聞の紙面の片隅に小さく報じられている。青雲の志を持ち南アルバータ州の大地を踏みしめた農業青年の夢は、はたしていかなるものであったのであろうか?運の良い人生の出発であったのだろうか?僕自身は未知なる異国の不安に震えるような青い顔した出発であった。そして、出発の前日に少々風邪気味であった。たいしたことはなかったが、僕は風邪をこじらすとひどい中耳炎になりやすく、その耳の痛さはひどいもので、よく小学校、中学校時代、耳鼻科に通院した。その恐怖に出発の前の晩に、用意していた薬の中から、抗生物質を飲んだ。日本では、卵酒と言って酒と卵を風邪の時に飲むこともある。それならばと思い、この薬と残りのビールで薬を飲んだ。
あとで分かったことであるが、このことがよくなかった。翌日は気分が悪くなり青い顔をしていた。東京羽田まで見送りに来てくれた友や家族からすれば、遠い外国へ行く不安から青ざめているように見えたかもしれない。そのとき、僕自身は、数日で良くなるだろうと思っていたが一向に回復する気配もなく、カナダについてからも体調が回復するまでしばらく、暗い日々であった。
運の悪い出発であったかもしれないが、のちに、アメリカの女性が抗生物質をお酒で飲んで、昏睡状態になったということをニュースで知った。僕はそのあと、夏にはポテト畑の巨大なスプリンクラーシステムを移動するイリゲーションボーイとして昼夜、小型トラックを乗り回して頑張れるまで回復したのは、宇宙飛行士と同様に運の良いほうであったかもしれない。
カナダの人生で大きな手術はしたことはないが、中年の頃に十二指腸潰ようをわずらい、食事が十分にとれなくなり、数日入院することはあったが、点滴と薬で回復をした。そのことがあったためか、その後は健康に少しばかり気をつかってきたから60代半ば過ぎても、仕事を続けられているのは幸いである。「静かで質素な生活は、絶え間ない不安と共に成功を追い求めるより、多くの喜びをもたらす。」とは、アインシュタインの言葉である。このアインシュタインのメモは、日本へ来た折に、ホテルのボーイに渡したものだという。今回、オークションにかけられて2億円の値段がついたということである。
さて、アインシュタインの声明をきっかけに、1957年に第1回「国際科学者会議」がカナダのパグウォッシュで開かれて「核兵器の管理」などを討議をして「原水爆禁止」の声明を出している。このとき、日本からは湯川秀樹、朝永振一郎、小川岩雄らの各氏が参加されている。 その『朝永振一郎博士 人とことば』加藤八千代著作から、「朝永― ― ― ―この問題はポーリング先生(化学と平和の二つのノーベル賞受賞)とも話をしたことですが『戦争のための研究はやらないことは、議論としては非常に簡単だけれども、実際には非常に難しい問題があると、自分(朝永)は感じているのだが』と話をしましたら、ポーリングさんも『これはある公式をつくって、それで割り切れるような問題ではないと、自分は思っている』と言っていました。(中略)科学者の持つジレンマという点から考えても、科学者は、なんとかして、戦争というものを、なくすように努力しなければならないと思うのです。― ― ―」
僕の夢より戦争を無くすことの方がはてしなき夢かもしれない。
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