2016年8月25日 第35号

 達ちゃんから電話があったのは一ケ月半前のことだった。

 私の母は8人兄姉妹弟である。彼はその長姉の息子で6人の姉妹弟中の一人男であり、私の従弟(いとこ)だ。周りが全部女ばかりだからだろうか?優しく、そして、優等生であったのは覚えている。

 ただ、会ったのはとにかく、彼が大学2年か3年の時、フルブライ(?)とか何とかいう奨学金を貰って貨物船で横浜からアメリカ(どこか知らない)へ行く日、親戚中が横浜に集まって見送った。それが最後だった。

 彼が大学を卒業し、なんとかいう大会社に勤め、ニューヨークに5年間滞在した時、私はモントリオールに住んでいた。彼から電話を貰い、久しぶりに懐かしい声を聴いた。そして、梅干を「沢山」送ってくれると言った。待ちに待った梅干はとても美味かったが届いた量が少なかった。つまり彼の「沢山」と私の「沢山」の感覚違いだったのだ。それ以後、声も聴いていないし音信不通であった。音信不通は梅干の量が少なかったからではない。

 多分、出世コースをどんどん進む彼と、移民でがむしゃらに生きる私たち家族、互いの生活環境の違いだろう。でも彼はいつも懐かしい従弟の一人だった。

 電話で、「双子の姉の一人がこの春亡くなった。彼女は双子で出生したがために、出生届が祖父母の子として届けられていたので、彼女の財産を相続できる人間の数がなんと12人となり、私(筆者)もその一人になる。遺産相続権を放棄して欲しい」と言ってきた。放棄はむろん問題はないが、たまたま彼の息子がサンフランシスコで働いているので訪ねたいとも言う。私も娘がサンフランシスコに住んでいる。それではサンフランシスコで半世紀ぶりに会おうということになった。

 友人に半世紀ぶりに会う従弟の話をすると皆、「頭が禿げてさーぁ、会っても分からないよ」と言う。「そうかなぁ」とも、思いながら彼に会える日を楽しみしていた。当日、わが娘の家で手巻き寿司大会をし、彼ら親子3人と娘家族3人、それに私、そしてお手伝いの人も含め結構楽しい夕食会となった。

 肝心の「禿げ」問題だが、彼は全く禿げていなかった。そして、ふさふさした胡麻塩頭で大伯父にそっくり、ふくよかで素敵なおじいさんになっていた。奥さんの悠美さんも同様、胡麻塩頭のショートカットでモダンな、でも可愛いお婆さんだった。

 どうやら、私自身をはじめ、私の母方家系は皆、毛染めが好きでないようだ。そして、禿げがいない。

許 澄子

 

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