2017年11月23日 第47号

 それ本当?「今、英国の学校では子供に英国歴史を教えていないのです」。

 2週間の「ジェーン オースティン(JA)の遺跡訪問旅行」の同行運転手は私達とビールを飲みながらそう言った。そこで老婆はオペラや観光用歴史本、英国観光旅行情報等で得た乏しい知識で英国の歴史を思い出し、「ふーん」と考え込む。たったそんな老婆の僅かな知識でも、1世紀頃、ローマ帝国の支配下だったり、奴隷問題、ヘンリー8世と宗教、数々の内戦等、英国の歴史は面白いと思えば面白い、でもやはり心が暗ーくなる。「やーめた」。でもねぇ、世界中の国々、あっちこっち歴史を一緒に考え、老婆の頭がジーンと痛くなってきた。やはり年かなぁ。

 …にもかかわらず、14日間走った英国の村と街々、あの美しい延々と広がる緑の牧草地と木立、そして、時々見える古い煉瓦や魚卵状石灰岩等、Vernacular Architechtureと呼ばれる、「その土地特有の建築物」家々と教会。ハイライズが見えたのはオックスフォードとロンドン位だったと思う。私達は最初にガトウイック空港からケント州「カンタベリー」に行った。ケント、そこは日本で今売れに売れている本の著作者、日系英国人ノーベル文学賞受賞者≪カズオ イシグロ≫氏の居住地だが、我々は≪カズオ イシグロ≫氏訪問の旅ではなく、[JA]の遺跡訪問の旅だ。

 次に「ウィンチェスター」「チョウトン」「ウィルシャー」「ポーツマス」「バース」「オックスフォード」、お伽の国のような「コッツウォルズ」そして「ロンドン」と回った。そうそう、あの魔訶不思議、ストーンヘンジへも行った。オペラ「ノーマ」の背景にあった所かもしれない? そんなことを考えワクワクする老婆だ。

 ともかく、延々とJA小説1775年から1817年代のJAの世界が数百年過ぎた「今」現実に私達の目前に広がっていったのには驚く。「信じられない!」バンクーバーで毎日運転していると、先週角にあった建物が今週はなくなっている。家へ帰る道まで間違ってしまう程、変化に変化を重ねる町に住む老婆には、これは驚きだ。

 そして、行く場所、場所で専門ガイドの質問にパッと答えたのは私達のKP先生でJAにもシェークスピアにも実に詳しい。難聴老婆はガイドの説明は聴こえず、特にマイクをとおした声はお手上げだ。仕方ない、各所で持参の資料や説明看板をしっかり読み自分なりの理解を進めていく。だから何時もグループから遅れる。老婆は必死だが、仲間には当然迷惑に思う人、逆にそれを温かく見守る人もいる。旅行中、誰かが何時も遅れる老婆を「問題視」したそうだが、KP先生は「そっとしておいてあげなさい」とおっしゃったそうだ。人にはそれぞれの学び方がある。KP先生企画のこの旅行で得た一番貴重な経験、それは「教える人の心」だった。

 老婆はガトウイック空港で皆と別れ、一人ロンドンからバンクーバーへ帰る機内での思い、それは「同行者の優しい笑顔、声を借り、手を借り、それに忍耐力までも…、素晴らしい思い出をありがとう!」皆のお陰でできた旅。 本当に良かったなぁ。

許 澄子

 

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