2017年9月14日 第37号

カンカン日が照りつける公園、痩せこけた芝生。その上に半裸の大きな青年は転がっていた。寝ているのか、倒れているのか分からない。老婆は思わず手を貸そうと衝動的に近寄った。近付き気が付く。老婆には何もできない。彼は多分大酒を飲み、日中そこに倒れているようだ。近くの木陰にたむろするホームレスの人たち、テントを張りベンチに腰掛けている人もいた。日本から数日前に来た25歳の優しいアーティスト青年「文太」に見せたくない、しかし見ておいてほしい所へと彼を連れて行った。そこはパウエル・ストリートにあるオッペンハイマー公園だ。この世界有数の住みやすく美しい街、バンクーバーの一角なのだからねぇ。

 仏教会の隣に「精神障害を持つホームレスの人たち」が利用できる憩いの場所がある。老婆は1992年から、そこで彼らのランチ作りのボランティアを年数回やってきた。そのころ、若かった老婆は「やってあげてる」という傲慢な気持ちでやり、ホームレスの人たちに近付くのが怖かった。それがいつの間にか、今では「やらせてもらっている」という謙虚な気持ち。すると不思議、食材を運ぶ老婆の車が停車すると、路上の彼らの数人が近寄り、荷物運びを手伝い、ドアも開けてくれる。ありがたい。そして給食が始まる時、彼らはお礼に「温かい拍手」をしてくれる。そして食べ始める。今日は「文太」と一緒に、老婆はその人たちの間を抜け、もう一つの目的場所、仏教会へと進んで行った。

 入口のドアは鉄格子で半開き、そこに一人女性が「治安の悪い所ですから」と言いながら丁寧に中へ入れてくれた。入ったら、そこは別世界、「バンクーバー詩吟愛好者交流会(バンクーバー新報主催)」の会場だった。まず、シーンと静か、ただ美しい琴の音が流れ、60〜70人の人たちが聴いている。太陽が照り付け、砂場に半裸の若者が転がり、ボロに囲まれた人たち、麻薬の匂いが立ち込める通路を抜けてきて、ここは今なんと平和なのだろう。鉄のドア一つ越えただけなのに…。

 やがて琴演奏が終わり、詩吟が始まった。詩吟は「歌う」のか「うなる」のか。いや、「吟じる」のかもしれない。老婆は考えてみたが分からない。しかし、舞台上に漢詩が映写され、それを読みながら聴く詩吟、何故か胸にジーンと来た。皆それぞれ、よくとおる、きれいな良い声の持ち主だ。老婆は洋楽が好きだからソプラノの独唱をよく聴く。詩吟を吟じる時のあの声は何というのだろうか? お腹のそこから湧き出てくる声なのだ。素晴らしかった。老婆が思うのに、漢詩に独特の節をつけ発声し、その詩心を表現する日本の伝統芸術が「詩吟」なのでしょうかねぇ? 極めて少ない文字の中に多くの事物や感情や思想が盛り込まれている。全く素人の老婆でも、静かに聞いていると言い知れぬリズム感と、何かジーンと胸打つのを感じるのですよ。「ふーん、すごいなぁ、日本の伝統芸術って!」

 やがて舞台は日本舞踊となった。踊りの終了時、司会者が小柄で可愛い師匠さんにマイクで質問。老婆は難聴だから間違って聴いたかもしれない。でも司会者が「何年、踊りをなさっているのですか?」と聞くと師匠は「ハイ、70年。4歳で始めました」。70年!あれー? それって、冗談でしょう? あの師匠さんは60歳位で…、何で70年もやれるの?…嘘!」、老婆は心底そう思ったのだ。「文太」が横で「彼女は74歳で、4歳の時に踊りをはじめ、現在70年目です」と説明した。「わー、本当?それ」、老婆は本当に驚いた。この日本舞踊は文句なしに素晴らしかった。そうだよねぇ。70年踊り、教え続けた師匠から学ぶ。学ぶ生徒さんもラッキー、それを観れた老婆もラッキー。それも日本でなく、このバンクーバーでのことですよ。

 その後に「沖縄のエイサー大太鼓」、毎回見るたびに凄いなーと思う。去年、女子ソフトボール世界大会の時も、休憩時間に彼女たちが踊ってくれたのを思い出し、懐かしかった。

 そして最後にフラダンス。老婆の前をぞろぞろーっとダンサーが舞台へ向かった。見ると、結構年齢が高そうな方が多い。「わー、皆、がんばるなぁ」と老婆は思った。ところが全員ステージで踊りはじめると、全く年齢なんて感じさせない。セクシーで、にこやかで、老婆まで「フラァーー」とした。「フラァーダンス」かぁ。ああ、本当に楽しかったぁ、いい休日だった。

 優しい文太と日の落ちたオッペンハイマー公園をゆっくりと通り抜け、駐車場へ向かった。そこにはもう人影はなかった。

許 澄子

 

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