2017年10月19日 第42号

 電話が鳴った。「アレー、どうしたの?洋子先生」。一昨日バンクーバーで彼女とサヨナラし、私は東京へ来ていた。その彼女からの電話だ。「それがね、今私も東京なの。実はカナダのマルルーニー第24代首相(*参照)が訪日していて、首相官邸の歓迎晩餐会にご招待があったのよ。でぇ、急いで帰国したの。着物を京都の真理子さん(ヴォーグ誌掲載着物デザイナー)が早速送ってくれたけど小物がないの、あなたのお母様の何かなぁい?」

 桐島洋子先生は、『淋しいアメリカ人』『聡明な女は料理がうまい』等々ベストセラーを出したノンフィクション作家だ。そして、大のバンクーバーファンである。この人ほどこの地を愛している人もまた珍しい。『バンクーバーに恋をする』という本をはじめ、雑誌にエッセイに、あらゆるところにバンクーバー、バンクーバー、そしてまたバンクーバーと書きまくっている。そんな関係で首相官邸にご招待となったのかもしれない。

 とにかく、帯留めやら襦袢やら腰巻までそろえて原宿の先生宅へ飛んで行った。「山野◯◯子美容院」へ予約。先生が、「澄子さん、あなた、いくら持っている?」。私は「5万円」と答えた。彼女は「5千円、美容院代貸してくれる?」、「いいわよ」と私。そして、2人は原宿から銀座までタクシーで行った。美容院で費用を聞くと1万5〜6千円位と答えた。2万円を別にしておき、洋子先生を美容院に残し、私は近くの松坂屋で買い物をして残金全部を使った。やがて時間が来て彼女を迎えに行き、支払い額を聞くと「3万5千円です」と。「アレー、話が違うよ」、で「なぜですか」と質問。「半襟や帯揚げなど全部お買い上げいただきましたから」と答えるレジ店員。慌てて先生に「先生は5千円お持ちですよね?」。2人は全財産ポケットから洗いざらい出して3万5千円を支払った。そして気が付けば、銀座から首相官邸までのタクシー代がない…「無一文」。先生がキャッシュカードを銀行で使ってみたが、PIN番号を忘れてしまい結局使えない。

 問題解決手段「その1」、有楽町の交番でお金を借りる。「その2」、仕事関係で知人がいるソニー◯◯旅行社を訪ねて借金の申し込みをする。2人はソニービルの近くへ来た。する、洋子先生がまた銀行を見つけ、「ちょっと待って、もう一度試してみる」と銀行へ入っていった。

 その時、通りでボーっと立っている私の肩を叩く人がいた。「澄子さんでしょう?」ワァー、驚いた。約1年前にバンクーバーへ教育関係の都議会委員の(テクニカルビジティング)の団体が来た時の女性役員がそこにいた。親しい訳ではないが互いに信頼関係はある。そこで、事情を説明し「5千円貸して下さい」とお願いする。すぐに気持ちよくお金を貸して下さり、洋子先生は時間ぎりぎりでタクシーに乗り首相官邸へ、そして私はとぼとぼ電車で原宿の先生宅まで山手線で帰った。

 あの「無一文」になった瞬間に、「教会の帰りなの」と現れた都議会の女性役員さん。これって神様が守って下さったような気がするけどねぇ。

 そして、20数年後。ある晴れた日曜日、2人の老婆は腕を組み助け合いながらクイーンエリザベス・パークのサンクンガーデンへの階段を下りて行った。時はすでに2017年10月1日、あちこちで見かける紅葉も美しい。思わず「わー、綺麗!」と声が出る。サンクンガーデンを抜けて今度は上り階段だ。上った所でこの老婆たちはもう息切れてベンチを探し座り込む。美しい青空とサンサンと降り注ぐ秋の暖かーい日射し、時々は走る子リス。家族連れの賑やかな声。老婆は洋子先生に話しかけた。「昔ね、銀座の真ん中で私たち『無一文』になったのを覚えている?」「ああ、そんなことあったねぇ」、「先生、私『老婆のひとりごと』にそれを書いていい?」、「いいよ」。そしてにっこりと先生は微笑んだ。 

 

注:洋子先生とマルルーニー首相との首相官邸での記念写真はご自宅が火災に遭った際に、消火器水で見るも無残に捨て去られたと先生はおっしゃっていた。

*マーティン・ブライアン・マルルーニー(Martin Brian Mulroney 1939年3月20日〜)は、カナダの政治家。第24代首相(在任…1984年9月17日〜 1993年6月25日)。カナダ進歩保守党所属。 ケベック州ベイ・コモー(Baie-Comeau)生まれ。

許 澄子

 

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