2018年7月12日 第28号
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の動物は何?」というなぞなぞ。答えは「人間」。四つん這いの赤ん坊が、やがて二本足で歩くようになり、年老いて杖をつくようになって三本足になるという、人間の生涯を一日に例えた、ギリシャ神話に登場する謎かけです。
このなぞなぞでは、 四本足になる前と三本足になった後のことがわかりません。遠い昔、まさか寝たきりになっても人は生き長らえるとは、予想だにしなかったことでしょう。現代版を作るなら、三本足になった後に、深夜近くには車に乗る(車椅子になる)とか、ベッドに戻る(寝たきりになる)という問いを加えます。
「三本足」になった後の人を介護をするとき、体の大きさは違えども、育児と同じように、着替え、食事、 入浴、排泄など、日常生活でのあらゆる介助が必要です。オギャーと生まれ、自分では何もできない状態の赤ん坊は、成長過程で、昨日はできなかったことが、今日はできるようになります。順調に育っていれば、 歩き始めたとか、小学校に入学したとか、成長の証になる出来事がいくつもあります。ひとりでできることもだんだん増え、小学校高学年ぐらいになれば、ひと通りのことは大人と同じぐらいできるようになります。逆に、認知症の人の介護の場合、症状が進むにつれ、認知機能や体力など、いろいろな能力が徐々に衰えていきます。昨日までできたことが、今日はできるとは限りません。また、介護は長期にわたることが多く、先が見えないため、介護者の精神的、身体的、経済的な持久力が試されます。特に高齢の場合、症状が改善して以前の生活に戻ることはあまりありません。
育児と介護は、その内容は似ていますが、介助の対象が大人か子供かの大きな違いがあります。赤ん坊の着替えは、最初はおっかなびっくりでも、慣れてくると簡単にできるようになります。相手の体が小さいので、介助をする側の体に負担がかかることはまずありません。最初は昼夜を問わず、一日に何度も授乳が必要ですが、月齢が上がるにつれてそれも落ち着いてきます。離乳食から始まり、大人が食べているものに興味が出始めたら、そのうち子供用の食事を作る必要がなくなります。もちろん、最初はおむつですが、 普通、3歳頃にはおむつが取れます。その後、多少の手伝いは必要ですが、尿意・便意を催したら、ひとりでお手洗いに行くこともできるようになります。溺れる危険もあるため、少し大きくなるまでひとりで入浴はできませんが、見様見真似で体を洗うことなら大丈夫です。
介護は、まさにこの過程を遡るように変化していきます。病状が進行すると、生活の全てを介護者に頼ることになります。ただし、介助を必要とする側も大人ですから、介護者よりも体が大きい場合もあり、 子供の場合とはわけが違います。この体格の差が、介護者の体の負担になり、怪我や病気につながることもあります。最後は寝たきりで、食事もままならず、 経静脈栄養や経管栄養で栄養を補給するようになることもあります。 排泄はおむつに頼ることになり、入浴はもっぱら清拭です。
介助の対象は異なりますが、私自身、育児の経験が介護にかなり役立ったと思っています。介助の目的は同じですから、相手が子供のときと同じで、できるまで(わかるまで)何度も同じことを繰り返すしかありません。着替えに時間がかかるから、食べこぼしばかりするからと、子供を叱る親はまずいないはずです。忍耐力が試されますが、相手ができることは頼む、苦手なこともできるだけ手を貸さないという対応も大切です。確かに、おむつ換えのように、相手の体が大きいために大変さが増すことはありますが、それはそれと割り切ってこなすしかありません。問題行動として現れる認知症の症状も、その裏に理由があることが理解できれば、腹を立てても仕方がありません。
認知症が進んでいるからといって、大人を子供扱いにはできません。しかし、子供に接するように気長に構え、現状を受け止めて割り切ることで、介護者が必要以上にストレスを溜め込まずにすむのではないでしょうか。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定