2019年6月13日 第24号

 死を迎える時、体と心にはどのような変化があるのでしょうか。

 まず、死の予兆は、だいたい3カ月前から現れ始めます。多くの場合、最初に現れるのは、心が内向きになることです。人に会ったり、出かけたりしなくなり、いつも見たり読んだりしていたテレビや新聞にも興味がなくなります。外への興味が少なくなるかわりに、自分がこれまでしてきたことをよく話すようになります。これは、自分で自分の人生の整理をしていると考えられています。

 もうすぐ死を迎えるということは、体が栄養分をそれほど欲しくなくなるということで、自然に食が細くなります。しかし、周りにいる家族はその理由がわからず、心配して医者に連れて行きます。すでに入院している場合は、何としてでも食べさせようとします。また、静注栄養や胃瘻を施せば、とりあえず餓死することはありません。しかし、死に向かって体が衰えていく過程にあるため、もう一度元気を取り戻し、溌剌と歩けるようになるということではありません。

 死までの期間が1カ月を切ると、血圧や心拍数などが不安定になり、肌や爪の血色が悪くなります。亡くなる2週間から1週間ほど前になると、痰が増え、のどからゴロゴロと音がし始めます。苦しくないかと心配になりますが、周りが思うほど、苦しくはないそうです。死の24時間前になると、下顎呼吸(顎を上下に動かしてする呼吸)が始まります。これも、人が亡くなる前の自然なプロセスです。心停止の前に、それまであまり出なくなっていた尿と便が一度に出ます。血圧が低下して、体じゅうの筋肉が緩むためです。亡くなった後の体の中は、かなり空っぽの状態になります。

 このような、死を迎える体と心の変化の過程が理解できていても、心穏やかに死を受け入れられるのか、また、きちんと死と向き合い、亡くなっていく人を支えることができるのか。自信がないのは当たり前でしょう。何もしないのも、ありとあらゆる手段で延命治療を続けるのも、人生におけるその人なりの選択です。周りの人にできることは、亡くなっていく人が望むことを理解し、尊重することです。たとえ自分の理念に反するものであっても、それは変わりません。

 ところが、日本のように、死について話すことがタブー視されてきた文化的背景のある社会もあります。避けたいもの、見たくないものと考えてしまうため、明らかに死が近づいている場合でも、それを遠ざけようとします。その傾向は、例えば、がんの告知をせず、余命も伝えないという選択肢をとってきたことにも現れています。近年、変わりつつありますが、その考え方は根強く残っています。

 さて、世界の緩和ケア医療に関する、「死の満足度指数(QODI/Quality of Death Index )」を見ると、世界80カ国中、第1位は英国。アジアで第1位の台湾は、世界第6位。カナダと日本は、それぞれ第11位と14位に位置付けされています。(2015年、エコノミスト調べ)望ましい死の達成度と満足度を評価する時、その評価の中心となる項目があります。「体の苦痛が少なく過ごせた」、「望んだ場所で過ごせた」、「医師を信頼していた」、「家族や友人と十分に時間を過ごせた」、「人として大切にされていた」など、死を迎えるまでの時間をどのように過ごすことができたかを問う項目です。特に、高齢者の死が間近に迫っている場合、これから先、まだしばらく生きていくための「生活の質(QOL/Quality of Life)」を問うよりも、安らかな死を求める「死の満足度(QOD/Quality of Death)」の実現がより重要です。

 死の質を考えることは、生の質を考えること、ひいては、死の質を高めることは、生の質を高めることに繋がります。死を恐れる感情の根底には、死に至る過程で感じる、苦痛、恐怖、不安、孤独、家族や友人との別離への寂しさ、残される家族の生活の心配などがあります。こうした負の感情を取り除き、安心して死を迎えることが、満足のいく死の迎え方といえるでしょう。

 


ガーリック康子 プロフィール

本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定

 

 

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