2018年4月19日 第16号
すでにカナダに移住して何十年も経っているある友人が、今春4年振りに日本に行った。私的な諸事情で今回は訪日と訪日との間に時間が経っていた。だが、ちょうど高校のクラス会などに日時をあわせることができたこと、久し振りのためどこに行っても親戚や友人たちに歓迎されたこと、そして味わった日本ならではの美味尽くし…等など、好条件が重なり大変に楽しい旅行だったという。
こちらに戻れば忙しい日常が待っているものの、その合間にふと「日本に戻ろうかな…」と言う思いが心をよぎると彼女はもらす。ずば抜けて優秀な一人息子さんは、ヨーロッパでIT関連の仕事をしており、当分カナダに戻ることはないようだ。加えて彼女は最近離婚し身軽になったことで、将来の選択に幅が生じたことは確かである。ご両親はすでに亡いが兄弟姉妹は仲が良く、例え彼女が帰っても長兄夫婦の大きな家にしばらく居候することも可能とか。戻れる条件は揃い過ぎるほどあるのだ。
彼女はいう。「ヨーロッパから来て、長年住んでいる親しい友人たちと話すと『This is my home!』とハッキリと言うけれど、私の中にそう言い切れものがあるか分からない…」と。英語の不自由は一切ない上に、一人の生活も落ち着き日常は快適。さりとて『ここはHome?』と問われれば、「さて…」と言う思いを感じるのだろう。
何度か彼女とそんな会話を交わした後に、私もふと自身を振り返ってみた。もう自分の年齢の優に半分以上はカナダに住んでいるにもかかわらず、そして家族も当地にいるものの、果たして私も『Is this your home?』と聞かれたら、憂いも迷いもなく『Yes!』とハッキリ言い切れるかどうか…。
当然ながら『Home』の定義をどう定めるかによって異なることは分かるが、以来この言葉が私の頭の中を駆け巡っている。
折りも折、長い間念願だったキッチンのリノベーションを決心し、夫と共に大手の建築資材メーカーに足繁く通い細かいデザインを決め全額を納めた。だが、最終段階になってトロント本社のスーパーバイザーからOKのサインが送られて来ない。業を煮やして電話したら「ああ、彼女は昨日から一週間ホリデーです」との返事! 怒り心頭に発したことは言うまでもない。まさか彼女は前日まで普通に仕事をして、夕方になった途端「私明日から休暇を取ります」と言ったわけではあるまいに!
他にも当地で生活していると、約束のリペアマンが現れなかったり、連絡もなく配達が遅れたり…は日常茶飯事。嫌と言うほどこんな体験をすると、サービス業には定評のある日本を懐かしく思うのは致し方ないだろう。私は断じて「日本すべてよし」等と言うバカげた国粋主義者ではなく、両国の良し悪しは充分に知り尽くしている。だが生活を円滑にするサービスに落胆した時、思わず口から洩れるのは「ああ、これなんだよな、カナダって!」であり、逡巡している意味とは異なるものの『Home』という言葉がチラチラと見え隠れする。
とは言え、もし日本に帰れば帰ったで歌人室生犀星と同様にきっと失望し「故郷は遠きにありて思うもの、だったな〜」となることは予見できるし、またあの風変わりな映画監督ウッディ・アレンが言うように「NYにいるとパリが恋しく、パリに行くとNYが懐かしい」という思いを感じることも予測できる。
これは生まれ故郷を離れ他国の生活を知った者の、ある意味での「宿命」なのかもしれない。
サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)