2017年12月12日 第51号

 私は本年5月半ばの当欄で、すでに表題の一大プロジェクトのことを紹介した(その時の和訳は「不正義の風景」であった)。これは2014年にCanada Council、その他から5.5ミリオンの予算を得て、ビクトリア大学のジョーダン・スタンガロス准教授(42)を中心に、バーナビー市の日系ミュージアムとも連携しながら、7年の長期にわたる共同研究を開始した話である。

 重複するが、何を目的にしたものであるかを再記する。

 周知の通り、日本の真珠湾攻撃(1942年12月7日)に端を発した第二次世界大戦の開始後、カナダに住む日本の移民とカナダ生まれの子孫たちは、政府の命令一下で財産を奪われ、ロッキー山脈の麓に建てた粗末な強制収容所や炭鉱に送られ、自給自足の生活を余儀なくされた。

 それまで主に漁業、農業、林業などに従事し、多くが写真婚で日本から妻を迎え西海岸に根を下ろし生活していた彼らは、まさに一夜にして敵国人になったのである。

 どこにもやり場のない怒りや悲しみを経験した人々は2万人にも上った。だが1989年には当時のマルルーニ首相がカナダ政府の過去の過ちを認め、生き残りの日系人1万7千余人に個人補償として一律2万1千ドルを支払った。

 しかし開戦後の敵性外国人は日本人だけではなく、イタリアやドイツからの移民も同じ状況下にあったにもかかわらず、彼らにはそのような処置が取られなかった。これは明らかに人種差別主義の一部の政治家たちが苛烈な法律を立法化し、日系人排斥へと繋げようとしたことは隠しようがない。

 すでに強制収容の体験者やその子孫によって幾多の書物が著され、映像によって過去を記録に残す試みはされて来たものの、多くはあくまでも個人レベルのものが主流を占めている。それを考えると、日本人、日系人の権利が根底から侵害された全容について、識者たちが丹念に記録を掘り起こし、苦難の歴史を後世に残そうとするこの大きなプロジェクトが進行していることは大変に意味があるわけだ。

 だいぶ前になるが、明治学院大学のカナダ文学に精通している某教授のゼミで講演した折、「カナダの日系人は、もういい加減に強制収容関連のことから卒業し前に進むべき」と教授は言った。日本の識者には、そのようにも受け取られてもいるのかと驚いたのを思い出す。

 もちろんただ嘆き節として聞けば「もう十分!」となるであろうが、負の歴史は正しく伝えそれを軸に如何に今の社会思想に生かすかにより、後世にまたとない教訓になるはずだ。特に最近は、アメリカを始めとする不寛容な風潮が世界に広がる中で、差別の歴史を振り返り正しく学ぶことの重要性は言を待たない。

 ドイツのユダヤ人に対するホロコーストについては深く検証されているが、それに比べ日系人の過去については、同等の学識的検証が今までなかったことが不思議にさえ思える。

 また最近は「Japanese Problem」という寸劇の公演も、プロジェクトの一環として上演されている。政府はロッキー山脈の麓に送り込む前に、バンクーバーのヘイスティング・パークにあった悪臭漂う家畜小屋を急きょ改造し8000人もを一時収容した。その時の人々の思いを描いた作品で、多少素人っぽい劇団ではあるものの、それが逆に当時の状況を彷彿とさせているようにも感じられる。

 12月2日にはNHKのNY支局が、この一連のプロジェクトを取材し「おはよう日本」と「ワールドEYES」で取り上げ「カナダ・差別を繰り返さない、日系人の歴史に学ぶ」と題して放映した。 当時の米国における日系アメリカ人たちへの処遇との違いも指摘され、興味深いニュース番組となっている。

 折りも折り、すでに何回かにわたって当紙で紹介頂いている翻訳本「希望の国カナダ…、夢に懸け、海を渡った移民たち」(原本:Gateway to Promise)も、強制収容から75周年と言う節目である今年、多くの方々のご協力のもとできたことを感謝している。

発売:日系ミュージアムのブックストア 税込$29.95 

 


サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)

 

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。