2018年5月17日 第20号
カナダ国内では一番暖かい地域とされるビクトリアでも、一月の寒さはそれなりに身に染みる。そんなある週末の土曜日、市内の某カトリック教会に「フランシスコ・ザビエルの右腕」が展示されるとのニュースが流れた。
「えっ、あのフランシスコ・ザビエル? えっ、あの聖人の右腕?」と私は驚愕した。
日本で教育を受けた者なら、必ずや頭のてっぺんが丸ぁるく禿げたあの聖人の絵を歴史の教科書の中で見たことだろう。(ちなみに、こうした禿げ方の男性を「ザビエル禿」と呼ぶとか?)
彼はスペイン生まれの宣教師で、最初インドやマラッカで伝道生活を送り、そこで知り合ったヤジロウと呼ばれる人と共に、彼の故郷・鹿児島に1500年半ばに渡来した。布教活動に心血を注いだものの、幾多の紆余曲折があり多くの困難を乗り越えなければならなかった。それでも京にまで上ったが室町幕府は混乱期の真っただ中。更には仏教関係者の根強い反対もあり、容易なものではなかった。
結局二年ほどの日本滞在の後、種子島などを経て次の宣教地である中国の上川島に向かったが入境はならず、その地で病死(1552年)した…。と、まあこのくらいは歴史の時間に習い知っている人は多いだろう。
だが46歳で亡くなった後に、その遺体がどこに安置されているのかは一般にはあまり知られていない。カトリック本山のバチカンと思うのが普通だろうが、調べると体の部位が世界のいろいろな場所に分散して保存されていると言う。
そんな体の一部である「右腕」が、たった一日とは言え、この小さなビクトリアの教会に展示されるとなれば、好奇心がそそられるのは当然だ。
当日は教会を取り巻く長い行列を予想していたが、三々五々人々は集まって来ているものの、呆気に取られるほど混乱はなく、また写真を撮ることもできた。
配られた冊子を見ると、彼は1622年にローマ教皇によって「聖人」に認定されたとある。生前彼はこの右腕で10万人以上に洗礼を授け、死後半世紀以上経った1614年に切断された時には鮮血が流れ出たとか。
ところで名前の前に付く「St.=聖人」を得るのは、どんな宗教人なのだろうか。そう簡単には貰えない称号であることは分かるが、一般には次のようなステップを踏むと言う。
まず死後5年以上が経っていること、生前に真実「神の僕」であったことが証明されること、徳を積み重ねていた事が承認されること、奇跡を1,2回起こした事実があること、等などが認められると聖人表に加えられるのだそうだ。
ちなみに97年に亡くなった「スラムの聖女」と呼ばれたマザー・テレサは、死後19年で聖人の称号を得た。普通は少なくとも数十年はかかるため多くの批判もあるとか。
今回私が何をもってこの方面の知識を得たいと思ったかは、自身が幼児洗礼を受けた「元カトリック信者」であることによるが、加えて「長崎と天草地方(熊本)の潜伏キリシタン関連遺産」が、先日ユネスコの世界文化遺産に挑むことになったとのニュースを聞いたからだ。テーマは当時の禁教時代を生き抜いたキリスト教の信仰と言う。
しかし文化遺産に指定されるのは結構なことだが、これによって多くの観光客が訪れ、地域で静かに信仰を守る人々の生活が乱されることのないよう切に願いたい。
何しろ日本はキリスト教の本来の精神とは全く関係なく、人々はクリスマスともなれば町に流れる『ジングルベル』の曲に乗ってプレゼント買いに奔走し、若者は高級レストランでの食事にうつつを抜かし、お父さんたちは24日の聖夜には帰宅途中に苺のショートケーキを買って家路に急ぐのが慣例となっているのだ。
宗教観とは無縁のこんな現象がまかり通る不思議な国。それが日本なのだから…。
若い頃はかくもハンサムだった!?
展示された右腕
サンダース宮松敬子氏 プロフィール
フリーランス・ジャーナリスト。カナダ在住40余年。3年前に「芸術文化の中心」である大都会トロントから「文化は自然」のビクトリアに移住。相違に驚いたもののやはり「住めば都」。海からのオゾンを吸いながら、変わらずに物書き業にいそしんでいる。*「V島 見たり聴いたり」は月1回の連載です。(編集部)