BC Landscape Awards of Excellence:Grand Winner 2013
BC州作庭コンテストで1位
過去最高点で最優秀賞受賞に輝いた
小川隼人さん

プロフィール:小川隼人(おがわ・はやと)。
1978 年京都府生まれ、神奈川県育ち。
庭師(Landscaper)。Ogawa Landscape Design 代表。ワーキングホリデーで来加後、 日本に戻り造園会社『京都楓雅舎』佐藤耕吉氏のもと経験と技術を積んだ後、2004 年に 再びカナダへ。Taku Landscaping で学び、独立。妻、娘2人とバーナビー在住。

2013 BCLNA(BC 州ランドスケープ・ナーサリー・ア ソシエーション)作庭コンテスト1 位、おめでとうござ います。対象となったラングレーの個人の庭を造るに あたり、どんなことを念頭におきましたか?
 その土地の雰囲気と施主様の好みを一番に考え、た くさんの人が集まってそこで過ごしたくなるような庭に するため、できるだけ自然物を使い自然の持つ力を最 大限に活かし、人に癒しと安らぎが与えられる庭をデ ザインしました。  作庭では、千本以上の植物を植え、百トン以上の石 の一つ一つを自分で選び気持ちを込めて据えていきま した。和洋どちらの庭の良い所も取り入れた空間を表 現し、柔らかさ、優しさを出すため、建造物の屋根に は何種類もの多肉植物セダムを寄せ植えて、住居の二 階から見た際にも屋根までもが庭と一体化した美しさ をもち、季節の移ろいとともに庭の表情を楽しめるよう に紅葉が美しいモミジを主に植栽しました。

初めて庭師の仕事をしたのはカナダとか?
 18 歳のとき、これといった目的もなくカナダに来ま した。そこで初めて自分が日本人であるという認識を 持ったものの、自分の国について知らなかったことを実 感し、日本人としてこの多民族の国で何ができるのだろ うかと迷い、悩みました。その頃見つけたのが、日系カ ナディアンの庭師の元でのアルバイトでした。  街路樹の美しさや都市部にも緑が多いことに感銘を 受けました。また、日本に比べて庭が身近だったことに 驚きました。  庭の仕事があることさえ知らなかった自分に、父親 が『庭』という雑誌を送ってくれて感銘を受けました。 庭は日本の美であり総合芸術だと感じ、日本に帰って 本格的に学ぶことにしました。

どんな修業をしましたか?
 造園会社『京都楓雅舎』佐藤耕吉氏に師事し、親方 や兄弟子の厳しい指導の下、住み込み修業を始めまし た。仲間と同じ釜の飯を食べ、基本的に盆、正月以外 は休みなく夜は花道、茶道の稽古、造園専門学校で学 び、石仕事から樹木の手入れ、大工仕事に左官と内容 が濃かったうえ、沢山の有名寺院でも仕事ができ、一 生の財産と思い出になりました。

修業をしてみて感じたことは?
 この国の価値に手で触れ感じ、再確認すると同時に、 日本で引き継がれている歴史的伝統、仕事に対する姿 勢のすごさに改めて驚きました。  ドイツの建築家が昭和の初めに桂離宮や伊勢神宮を はじめ、日本文化、日本建築に多大な感銘を受け、次 の言葉を残しています。「日本が次第に退屈に、無味乾 燥になり始めるとしたら、それは全世界にとって恐るべ き損失であろう」。外国が日本をどのように見ているか、 それを通して自国を評価するのではなく日本人が日本 の文化をどのように考えているかが大事で、日本の持 つ死生観、自然観、歴史観、美意識などの価値を日本 人が自覚することは世界的な意味を持つことであり、長 い歴史を通して数世代にわたって受け継がれてきた文 化でもあり、途絶えさせてはならないと感じました。

造園を通して、どんなことを伝えたいですか?
 繊細で優美な日本の美と心は、外国では一定の人々 の憧れの対象にあると思います。  また外国では、感性や風土、そして常識までも違う ため、型にとらわれない斬新で奇抜、植物の特性を完 全に無視した日本ではあり得ないがおもしろいアイディ アがよくあります。  それを私たちがより良い形で調和させ、作庭という 表現方法を通し日本人の美意識、庭に対しての意識の 高さ、モノづくりの楽しさを伝えていきたいと思ってい ます。世界に通用する普遍的な価値を少しでも見つけ 出し、伝え残せたら、そしてこのようにカナダの地から 日本へ、さらに世界中に発信できたら本望です。             (取材 ルイーズ阿久沢

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