2017年2月9日 第6号
ビクトリアのダウンタウンからフォート通りに沿って東に行くとロイヤルジュビリー病院がある。車ならほんの4、5分だろうか。1933年10月、バンフでの国際会議に出席した新渡戸稲造が、当時国際港だったビクトリアから帰国の途につく前、突然倒れ搬送された病院である。少し前まで旧病棟三階の新渡戸が最期を迎えた病室前に記念の銅板がかかっていた。その病棟は数年前建て替えられたが、新渡戸が緊急手術を受けた旧手術室と隣接の礼拝堂のまわりには中庭が造られ、「新渡戸ガーデン」として憩いの場になっている。旧玄関前ロータリーの「平和の使徒、新渡戸稲造終焉の地」と刻まれた記念碑は今もそのままだ。しかしながら、稲造が米国人のメアリー夫人と投宿していたオークベイビーチホテルも数年前に改築され、当時の面影を偲ぶ建物が日増しに減ってゆくのは残念である。
ビクトリアに住む私は、ときどき新渡戸ゆかりの地を訪ねて来られる方々をご案内することがある。有名な新渡戸の著作『武士道』を通して「新渡戸ファン」になった方が多いようだ。ところがこと話が『武士道』になると、話題が噛み合わず白けることがたまにある。「新渡戸はスゴイ。『武士道』で大和魂を世界に知らせた。戦後の日本人は侍精神が欠けていてダメだ」とおっしゃる。昨今の日本では平和憲法9条を改正する動きが本格化して、新渡戸の『武士道』を担ぎ出して「武士道精神の復興」を煽る風潮でもあるのだろうか。戦後生まれの自分には「私の戦後71年」を書く資格はないけれども、平和な時代に生まれ育った者として大事だと思うことを記しておくべきだと感じる。
新渡戸が『武士道ー日本の魂』を英語で書き下ろして出版したのは1900年(明治33年)のことだ。私は高校時代、岩波文庫の矢内原忠雄による邦訳『武士道』を読んで「おやっ?」と感じた思い出がある。具体的な武士の生活や武士道の歴史・思想を系統立てて説明した箇所はほとんど見あたらない。むしろ武士道は「不文不言」とか「道徳的雰囲気」などと抽象的で、各章ごとに「正義」、「勇気」、「礼義正しさ」といったことがらを文学的に格調高く綴ったエッセイ集なのだ。しかし、正義とか勇気などの観念は何も士族階級に限られたものではあるまい。百姓一揆を起こした農民階級にもある種の正義感や勇気はあったろうし、これらの価値観は日本に限らず世界に共通しているだろう。現に新渡戸の筆致を見ると、冒頭では「武士道は…日本の土地に固有の花」と言いつつも、その実、欧米の古典や研究書を縦横に引用して、日本や東洋の習慣や価値観がいかに普遍的で東西共通であるかを説明している。
例えば四章「勇」の項では、まず「勇とは義しき事をなすことなり」という定義を『論語』から引き、本当の勇気と唐突的行為との違いをシェークスピアは熟知していたと英文学を引っぱり出す。さらにプラトンや水戸の義公が似たような勇気の定義を共有していたと突っ込む論法だ。これは一例だが、各章同じような展開になっている。要するに新渡戸の『武士道』は侍精神がいかに日本独特で、と宣伝しているのではなく、日本や東洋の価値観がいかに西欧の価値観と共通していて同等であるかを力説しているわけだ。このことは、新渡戸自身が後に『偉人群像』という本の中で次のように言っている。
「(『武士道』の内容は)簡単なことばかりで、日本人は悉く承知していることのみであるから、日本人に読んでもらう必要がない、ただ外国人は日本を如何にも不思議そうに思う様ですから、何も日本人とてそう変わったものではない。西洋でも同じような思想があるではないか、少しく現われ方が違うのみで、人間に東西の区別はないということを述べたいと思ったのです。」
つまり西洋人が東洋人に対して偏見を持っていた時代に、西洋人も東洋人も一皮むけば同じような考えや価値観を共有している、ということが言いたかったのだ。新渡戸には今の日本人に欠けている侍精神を復興して、みたいな意図はなかった。むしろその逆だということは、最後まで丁寧に読めばわかる。
新渡戸は、武士道は大切だから将来に受け継がれるべきだというのではなく、過去の封建主義の遺物として「葬り去られるべき」だと主張しているのだ。すなわち、「武士道の将来」と題する終りの章で新渡戸は、時代はすでに武士道を保持する時ではなく、むしろ武士道のために「名誉ある埋葬の準備をなすべき時」だとして、こう述べる。
「もし歴史が吾人に何ものかを教えうるとすれば、武徳の上に建てられたる国家は…地上において『恒に保つべき都』たるをえない。…今日吾人の注意を要求しつつあるものは、武人の使命よりもさらに高くさらに広き使命である。拡大されたる人生観、平民主義の発達、他国民他国家に関する知識の増進と共に孔子の仁の思想…仏教の慈悲思想…はキリスト教の愛の観念へ拡大されるであろう。…平和の長子権を売り、しかして産業主義の前線から後退して侵略主義の戦線に移る国民は、まったくつまらない取引をなすものだ!」
武士道とは所詮「武徳」を根底にした価値体系であって、それとは反対の平和を基礎とした国民が将来を担うのだ、との論である。「封建日本の道徳大系はその城郭と同様崩壊して塵土に帰し、しかして新道徳が新日本の進路を導かんがために不死鳥のごとくに起こる」だろうとも言っている。この新道徳とは、右の引用文で「平民主義」と訳されている「デモクラシー」のことである。
新渡戸は、民主革命を経たことのない日本に西洋のデモクラシー思想を移入するだけでは、本当の民主主義は根づかないことを見抜いていた。そこで日本古来の武士道の底に流れる「勇気」や「正義」など普遍的な価値観は将来に残して、同時に「武士」を転じて「平民」に置き換えることが日本流の民主主義、すなわち「平民主義」の基礎になる、というのが新渡戸の考えである。新渡戸にとって「平民」とは「平和な民」、「平等な民」を意味し、「不平等」な封建主義の頂点に立つ「武力の士」の対極であった。以上のようなことを新渡戸は「平民道」と題する文章にして、1919年(大正8年)に『実業之日本』という大衆雑誌に発表している。欧米人のために英語で書かれた『武士道』よりも、大衆誌に載った「平民道」の方が大正デモクラシーの時代の日本人には広く読まれたかもしれない。
新渡戸の『武士道』が名著として読み継がれるべき理由は、武士の美徳を並べ立てて封建的価値観を懐古しているからではない。『武士道』の重要性は、欧米人にまだ人類平等の思想が浸透していなかった時代に、東西文化の平等や相互理解を訴え、明治維新以来の日本が「富国強兵」に沸き立っていた時代に、「武徳」を葬り、侵略主義を捨てて平和の民になるよう説いたところにある。その意味では、戦後平和憲法の9条こそが、文字通り敗戦の「塵土から不死鳥のように起こった新道徳」ではなかろうか。とすると、9条改正に奔走しているむきにこそ、新渡戸の『武士道』の精神が欠けているという批判が当てはまるような気がする。
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新渡戸著『武士道』の邦訳は、新渡戸の一番弟子・矢内原忠雄による岩波文庫版、もしくは著名な新渡戸研究家・佐藤全弘氏による訳(教文館、2000年刊)がお薦めである。本稿の『武士道』引用は矢内原訳。なお、新渡戸の平和主義的記述を勝手に削除して、武士の美徳だけを強調した詐欺紛いの「翻訳」も出回っているようなので、注意されたい。
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