2017年1月12日 第2号

 今回は、父方の祖父のことを書こうと思うが、これも夢のような話である。

 母方の祖父は騎兵として、日露戦争に参戦をして、満州へ南下しようとするロシアの騎兵隊を食い止めたが、一方、南からはロシアのバルチック艦隊が、シンガポールを経由して、日本海を目指して北上してくる。

 日本海軍は、このバルチク艦隊が日本海コースか太平洋を迂回してどちらの北のコースからウラジオストックをめざすのか予測できなかった。

 この問題にかかわったのではないのかと思われるのが祖父の話である。

 祖父が生まれたのは、激動の時代であった江戸の末期ではないかと思うが、資料はないので小生の想像でしかない。尾張藩藩士の次男と出生している。父の時代まで、戸籍に士族と記されてあったというから、間違いのないことであろうと思うが、どれほどの身分であったかはさだかではない。父の話から、その縁者をたどれば、立派な方がいるから、尾張藩ではそれなりに身分のある侍であったのかもしれない。

 太平洋戦争が終わり、父が戦地から復員してくると、以前に世話になっていた親戚の材木問屋は名古屋の空襲で丸焼けとなり、縁戚のKさんに世話になっている。この方は、その昔、財閥の大倉喜八郎の秘書をしておられたが、終戦当時は、静岡県にあるTパルプという会社の副社長をしておられたという話である。父は、山の木を切り出す仕事でも手伝えたらと思い尋ねたようである。戦後しばらく、そこでお世話になっている。

 後に父と東海道線を旅をした折、汽車が大井川を渡る頃に「昔、ここにあるTパルプでお世話になった」とよく話をしていたことを思い出す。父の話によれば、今頃の地元新聞社の元になったと思われる印刷所を名古屋の中心で、明治の頃かと思うが、縁戚ものがやっていたという話を何度も聞いたことがある。

 僕が日本にいる間は、本籍だけは名古屋市中区錦である。本籍を僕の時代まで残したけれど、そこは、名古屋で一番にぎやかなところで、デパートが建っていた。その隣に、我が家とは何の関係もない大きな本屋さんが、今はあるのみである。次男である祖父は養子に出されてこの本籍の姓である佐藤になったようであるが、詳細は不明である。

 そのような記録は、名古屋市立図書館にかなりの資料が残っていると名古屋市で戸籍の仕事をしている方が教えてくれた。その方が、冗談のように笑いながら「案外、調べてみたら、名家(迷家?)かもしれないですよ」といわれたのが印象的であった。とはいっても、ぼくの父は三男だから、直系ということではないから、たいしたことではないであろう。

 その祖父は、明治28年頃にか、アメリカ行きを志して船に乗る。当時、船は台湾、フィリピンを経由して北米へ航海をしたようであるが、祖父はひどい船酔いに苦しめられて寄港地の台湾で下船をして、その地で職を得るのである。父の話では軍服のようなユニフォームを着ていたというから台湾総督府逓信局の公務員でなかったのかと思われる。父達家族は官舎に住んでいたというから公務員には違いはなかろう。後年(1980年頃)に伯父(長兄)が台湾を旅した時には、まだ昔の住まいは残っていたという話をしていたのが印象的であった。

 逓信局にいた祖父の仕事の一つは、台湾の管轄であった今の沖縄県石垣島に無線局を設置することであったろう。そのためか、愛知県にソニーなどの基となる町工場ができたのではあるまいか? 太平洋戦争の真珠湾攻撃の電文「ニイタカヤマノボレ」は、愛知県刈谷市にあった巨大な電波塔から、連合艦隊に打電されたものである。

 祖父の時代は、まだ明治の日本が科学の分野でも追いつこうとしていた時代である。その時代に石垣島に無線を設置をするには、まず発電機から用意せねばならず、大変な困難が予想されるが、祖父たちのグループは、それをやり遂げたのであるまいか。

 1905年、緊迫がただよう日本とロシア、ロシアのバルチック艦隊が刻々と日本へ近づいている。ロシア艦隊を日本の最も南の島宮古島の人が目撃すると、五人の若い漁師が選抜されて、サバニ(丸木舟)を漕いで、石垣島の郵便電信局にまで伝えるのである。 100キロメートルを超える外洋を漕いで渡り行く5人を「久松五勇姿」という。明治38年5月26日南のこの海域では「つゆ」の梅雨前線で海が荒れ易い状態であったという。命を賭けて海をわたる若衆のこの情報が日本の運命を勝利に導いたのである。

 この情報より、この近くにいた日本郵船の情報が少し早かったという説もある。

 


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