2016年12月22日 第52号

 祖父のことを書きたいとずいぶん前から思っていたが、資料が少ない。頼りになるのは、父から聞いたわずかばかりの祖父の話のみである。父方の祖父、つまり僕のおじいちゃんは太平洋戦争が終わる前に住んでいた台湾で亡くなっており、戦後生まれの小生は、写真でしか見たことがない。一方、母方のおじいちゃんは、自宅から3キロ離れた処に住んでいたので、父と母の農作業が忙しい夏の日にはよく祖父の家に泊まり、祖父の横で寝るのが常であった。

 僕の自慢は、数多くいるいとこの中で、祖父と一緒に寝たのはたぶん僕ぐらいなものであろう、ということである。というのも、夜中におしっこに行くのに、離れたところにある厠に行くのに、真っ暗な家の前を歩くのは怖かったので、祖父が一緒についてきてくれたのである。

 山形県庄内の生まれで、たぶん先祖代々、米作りをしていたお百姓さんの出身である。山形はアメリカのケネディ大統領が尊敬したという上杉鷹山(ようざん)のいたところでもあり、遠くは上杉謙信ともつながるところでもある。そのことが、祖父と騎兵のつながりかもしれない。

 祖父は寡黙なまじめな人で、一緒に寝たけれど、会話を交わした記憶は少ない。むしろ、祖母の方によく叱られた。第一に食事が駄々草で、よくご飯つぶをこぼして、叱られた。こぼしたご飯粒は、ちゃんと拾って食べるように祖母からよく言われたけれど、おやつの時は、仏さんに供えてあるお菓子や、饅頭をおまいりをして下げてくるようにと言う。そして、それを僕のおやつとして分けてくれた。

 性格が明るくよく笑う人のためか、よく近所の親しいおばさんが野良仕事に行く前に寄り、喋りこんでゆく。僕はそれを、皆が畑に行きだれもいなくなった台所のちゃぶ台の横に座り、聞いているのである。たわいもない世間話だけれど、子供のくせにじっと聞いているのが好きであった。時折、二人の笑い声が聞こえると、なんとなく僕も楽しくなる。

 夏休みになると、隣町に住んでいる一回り年上の従兄の兄弟がよく来て、離れのおじさんの部屋に泊まった。年が違うのであまり遊ばなかったけど、裏山に行く時は一緒についていったりした。この弟の方は、性格が楽しく気が合った。後に学校を卒業すると当時の水産庁の調査船に勤務することになり、2回ほど船がバンクーバーに寄航した際には、僕のところに寄ってくれて、母のことづけなどを届けてくれたりした。中には、重たい郷里の生みそもあったりして、大変重宝した記憶がある。

 彼の母、つまり僕のおばさんは長女で、おとなしい人だったが、北海道帯広で屯田(とんでん)兵として祖父と祖母の家族が開拓をしていた頃、おばさんは馬に乗っていた、と別のおばさんから聞いたことがある。女だてらに馬に乗り、広大な十勝平野の一角で祖父や祖母を助けるために母達姉妹は頑張っていたのだと思う。

 一つの疑問は、なぜおばさんが馬に乗ることができたかである。それと、日本国の存亡をかけて、多くの戦死者を出した日露戦争から祖父が無事に帰還できたのかである。

 幼い頃、父が僕に言うのには「おじいちゃんは馬に乗っていて偉かったんだ」ということである。父も太平洋戦争のとき陸軍の兵士であったが、馬に乗れるほどの偉い兵隊さんではなかったので、馬にのっていたおじいちゃんは偉いひとであったのかといえば、そんな偉い人には僕には見えないのももう一つの疑問であった。数年前に『坂之上の雲』をTVで見た折、日露戦争当時に世界最強と言われたロシアのコサック騎兵隊と満州北部で日本の騎兵隊の戦闘の場面で、日本側は最新の機関銃を用意してそれに立ち向かい勝利を得る。その時、「ああ、おじいちゃんは騎兵だったのか」と思いいたるのである。

 体の大きな、寡黙なジェントルマン、フランス語でいうナイト(騎士)である祖父が馬で大陸をかける姿は勇壮であったろうと想像をめぐらす。

 この勝利の戦い日本側の負傷者の数は少ない。祖父と友の戦友が無事に帰還をして、その後、北の守りでもある屯田兵となり、共に開拓に励むことになる。「ますらおが 心定めし 北の海 風吹かば吹け 波立たばたて」、厳寒の北海道の開拓では、馬で木の根っこをおこしたり、時には爆薬で大きな切り株をふきとばしたりしたのかもしれない。祖父が娘に乗馬を教えたのはそんな頃のことであろう。

 ずいぶん前のことであるが、ぼくは胃潰瘍を患い苦しんだことがある。その時、夢枕に現れたのは祖父であった。僕の家の縁側に南に向かって座っている白いイガグリ頭の後ろ姿の祖父に、お茶の代わりに濃い目の梅酒を出すと、酒が好きな祖父は、嬉しそうに「おらあ、これがあればいい。おまえ、体を大事にして暮らせ」と言う。僕はおじいちゃんを呼ぼうとして目が覚める。なぜか涙がこぼれた。

 


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