2017年10月26日 第43号

 いろいろな理由で、スケジュールがなかなか合わなかった友達と、久しぶりに会うことができました。食事をしながら、お互いの近況報告をする中で、その友達(Aさんと呼びます)の友達(Bさんと呼びます)の話が出ました。私はBさんに会ったことがありません。でも、Bさんが認知症らしいということを聞いた頃から、ずっと気になっている存在です。

 AさんとBさんがどのくらい長い付き合いがあるのか、実はそれほど詳しくは知りません。でも、Bさんが、Aさんにとって大切な友達だということはよくわかります。そのBさんの認知症が、目立った症状として現れ始めているようなのです。片付けた場所が思い出せないため、なくなったものと思い、新しく買いに行った話を聞いたAさんが、一緒に探すと見つかった話や、待ち合わせ時間に来ないBさんに電話をすると、時間を勘違いしていたという話を聞き、母の症状を思い出しました。

 片付けた場所というよりも、自分が片付けたこと自体が記憶にないため、母も、いろいろなものを探していました。探しているうちに、最初の場所とは別の場所に片付けてしまい、もっと探せなくなります。時には、どうしてこんな所に片付けたのかと思うような、どう考えても繋がりのない場所で見つかります。理論的に考えると、明らかに辻褄が合わないことが、思い込みに変わっていたり、実際に起きていないことが起きたこととして記憶されていることもありました。 介護の手伝いのために日本にいる間の私の大きな仕事のひとつは、印鑑や通帳などの、「見付からない物探し」でした。家族が住む家は、普段自分がそこに住んでいなくても、だいたい勝手がわかります。しかし、友達の家となると、かなり親しくない限り、見付からない物により、探す場所の見当さえつかないでしょう。

 Aさんに会った後、何か私にできることはないかと思い、認知症の人の友達のサポートグループを探そうと考えました。私自身、隣組の「認知症の人と家族の会」と、BC州アルツハイマー協会の、親の介護に関わる介護者のグループに参加していました。サポートグループは、普段話せない胸の内を明かすことができ、その気持ちを理解してもらえる場所として、大きな助けになりました。しかし、よく考えてみると、私がサポートグループに参加していた頃、認知症の人の友達のためのグループはなかったことに気付きました。実際、探してみましたが、やはり見付られませんでした。

 さらに調べると、認知症の友達や仲間のサポートそのものが、あまり位置付けられていないことがわかります。認知症の介護やサポートをするのは、おもに家族、施設職員、医療従事者で、友達というケースはあまりないようです。しかし、少子高齢化が進む中、ひとり暮らしの人はさらに増えると考えられ、家族の枠組みに当てはまらない、友達や仲間のサポートが、これからの認知症支援に重要な役割を果たすことになるでしょう。特に、家族を介護の単位としてきた日本では、「老老介護」や「認認介護」、「介護心中」や「介護殺人」、「介護自殺」などに現れる通り、家族だけの力には限界がきています。

 家族だけでなく、友達や仲間が認知症の人と共に歩むことが、認知症でもその人らしく暮らし、その人らしい人生を送ることのできるコミュニティーや社会に繋がります。ひとりでも多くの人が認知症の人をサポートすることで、身近で介護する人に介護の負担が集中し、社会から孤立することを防ぎます。家族に認知症の人がいることを隠す必要も、認知症と診断され、人生おしまいと悲観する必要もないこと。誰もがそれを理解するようになれば、認知症になることを無闇に恐れる人も、 友達が認知症になったからと友達をやめる人も減るでしょう。

 


ガーリック康子 プロフィール

本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定

 

 

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