2018年5月3日 第18号
鍼治療(Acupuncture)とは、身体の特定のツボを刺激するために専用の鍼を生体に刺入する治療法である。経穴を刺激することで経絡を通る「気」(エネルギー)の流れにおける異常を正した上で病気を治すという東洋医学古典理論に基づいて、日本・中国・台湾・香港・韓国・ベトナム等、漢字圏や華僑密集地域で発達してきた。
日本に鍼灸の技術が伝わって来たのは大体6世紀頃だと記録され、奈良時代には高僧鑑真が医学教育に熱心に取り組んでいたという言い伝えがある。丹波康頼が984年に円融天皇に献上した『医心方』には中国隋・唐時代の代表的な医学書百数十編を引用しており、この頃までに重要な医学書の多くが日本に伝わってきていたことがうかがえる。日本で鍼灸が広く普及し独自の発展を遂げたのは江戸時代以降、代表的な発展としては「打鍼術」、「管鍼術」など巧妙な職人工芸が開花成熟して、特に管鍼術は細く柔らかい鍼をたやすく刺入することを可能にする技術として、現代においても広く用いられる。日本式のクリーン・ニードル・テクニック (CNT) を用いて施術した場合には一般的に、安全であり深刻な副作用の危険性は非常に低いと認識されている。
西洋社会では1970年頃、鍼に鎮痛作用があると医学的な注目を集め、研究が進むようになった。鍼の刺激によって、痛みを抑える作用のホルモンが脳内に分泌され、脳に痛みを伝える神経の働きをブロックするため、痛みが伝わりにくくなる。この2つの作用により、痛みが緩和されると解明された。他に、ストレスや緊張を和らげるツボや、心を安定させる作用のあるツボに鍼の刺激を与えることにより、リラックス効果のあるセロトニンなどのホルモンが分泌され、自律神経のバランスを整える効果が期待できると一部の科学者の見解があった。
各先進国ですでに普及した現在では、鍼治療は補完代替医療の一つの有効な治療方法として定着しようとしている。UNESCOは「伝統中華医学としての鍼灸」(Acupuncture and moxibustion of traditional Chinese medicine)を、2010年11月16日に無形文化遺産に指定した。いままで様々な特定の症状に対する鍼治療の適用はアメリカ国立衛生研究所やイギリスの国民保健サービス、世界保健機関、アメリカ国立補完代替医療センターによって認められている。
現代の科学的な規準では、ある治療に効果があると述べるためには、臨床試験、中でもランダム化比較試験(RCT)によって証明される必要が要求される。近年、欧米を中心として鍼灸がどの様な疾患・症状に効果があるのかをRCTによって確かめようという試みも増えた。2008年のシステマティック・レビューでは、緊張性頭痛の重症度や1か月あたりの頭痛の発生頻度を、実際の鍼治療は偽鍼治療より若干改善させることが示唆されている。2009年の同レビューも、実際の鍼治療は偽鍼治療または鎮痛薬と比べて、緊張性頭痛の患者に効果があることを結論付けた。また、男女282名を対象とした2014年のオーストラリアの臨床試験では、鍼治療やレーザー鍼治療は、変形性関節症の膝痛を鍼治療無しより中等度に緩和できると認めた。なお、日本の研究者達はエビデンスベースを重視し、電気生理学的面から鍼灸の神経系、内分泌系に対する影響を視床下部 ・脳下垂体 ・副腎(HPA系)というモデルを用いる多数の研究を行った。また、 鍼治療後、正常な成人を対象にした脳波測定の研究で、アルファ・ウェーブ(人間がリラックスしている時のみ大脳から出るといわれる脳波の一種)が著しく増え、振幅も大きくなるということが、中国の研究者によって報告されている。
世界保健機関(WHO)で鍼灸療法の有効性を認めた疾患は数多くあるが、少し例を挙げてみると、例えば、神経系領域の神経痛、自律神経失調症、頭痛、不眠症;運動器系領域の関節炎、リウマチ、五十肩、腱鞘炎、腰痛;呼吸器系領域の気管支炎、風邪の予防;婦人科系領域の更年期障害、生理痛、月経不順、冷え性、不妊症;耳鼻科系の中耳炎、メニエル氏病、アレルギー性鼻炎;眼科系の仮性近視、疲れ目;泌尿器系の性機能障害、陰萎;消化器系の胃炎、消化不良、下痢、便秘;小児科系の偏食、食欲不振、アレルギー性湿疹、その他にも実に多岐にわたる領域の疾患に有効性が認められた。
カナダは多次元文化の融和理想を掲げながら、20年ほど前から東洋医学の各々の疾患に対する有効性を認めた上に、東洋医学における医療専門職を西洋医学と同様に立法で規制した。現在、カナダBC州において鍼を業として行えるのは、州政府管轄のCTCMA(College of Traditional Chinese Medicine Practitioners and Acupuncturists Association)の規範下で資格試験に合格した鍼灸師(R. Ac.)、中医師(R. TCM. P)、高級中医師(Dr. TCM., 日本の東洋医学専門医に相当)三種類の免許所持者のみと定められている。様々な慢性疾患に悩まされる患者にとって、受けたい治療に関する選択の幅が増えたと思われる。
医学博士 杜 一原(もりいちげん)
日本皮膚科・漢方科医師
BC州東洋医学専門医
BC Registered Dr. TCM.
日本医科大学付属病院皮膚科医師
東京大学医学部漢方薬理学研究
東京ソフィアクリニック皮膚科医院院長、同漢方研究所所長
現在バンクーバーにて診療中。
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