2018年9月13日 第37号

 日曜日はデイサービスもリハビリもありません。平日のように時間に追われることなく、朝ご飯を食べた後、洗濯機を回します。洗った洗濯物を屋内で洗濯物干しハンガーにかけるのは、母の役目。ハンガーにかけたシャツのボタンが掛け違っていたり、裏返しだったりしますが、落ちてこなければそのまま外に干しに行きます。ひとりで干すより時間はかかりますが、できることは何でも頼みます。

 洗濯が終わったら、お茶を入れてしばらく休憩。気が向いたら、日曜版のクロスワードやゲームをすることもありますが、難しいものは途中で止めてしまいます。お気に入りのテレビ番組を見ていても、だいたい途中で眠くなり、そのままうたた寝をするか、昼寝をしに自分の部屋に戻ります。

 母が昼寝をしている間に、私は風呂掃除や居間の片付けなどをしながら、昼ご飯の用意を始めます。自分で食事の支度はできなくなりましたが、食欲はあるので、作った物を何でも食べてくれます。おかずを何品か作り、主食は、残りご飯を使った炒飯や、母の好きなうどんなど。食後には、季節の果物。毎食後、薬を飲みますが、薬ケースに毎日の薬を分けて管理することは、しばらく前にできなくなりました。同時に飲み忘れが増え、今では、用意されたものを言われた通り飲んでいます。

 昼食後は、だいたいテレビを見ます。以前よりテレビが好きになったようで、リモコンでテレビのスイッチを入れ、チャンネルを変えようとします。でも、リモコンの使い方に困り、間違ったスイッチを押し、ビデオ画面に変わってしまいます。必要なスイッチには、文字が読みやすいように、テープを貼った上から大きな文字で書いてあります。ただ、これもあまり役に立たなくなってきました。

 そうこうしているうちに、あっという間に夕方になり、洗濯物を取り込みます。洗濯物を畳むのは、もちろん母も一緒です。タオルなら畳みやすいと思い、目の前に置きますが、何度やり直してもなかなか形が整いません。裏返しになっているシャツを表にすることも難しいようです。靴下が対になることも、あまり理解できていません。

 晩ご飯は、週末も宅配のお弁当が届きます。食事の準備が上手くできなくなり、出来合いのパック入りのおかずや、インスタントの麺類などですませていたようです。買い置きは同じ物ばかりで、栄養の偏りが気になり、宅配弁当を注文するようになってから、少なくとも2食はしっかり食べるようになりました。時間はかかりますが、出てきた物はほぼ完食。ほとんど介助の必要はありませんが、一品を全部食べ終えてから、次の一品を食べる食べ方をするようになりました。私の分の食事は別に作り、できるだけ同じ時間に食べられるようにします。

 晩ご飯が終わると、普通なら次は入浴の時間です。しかし、母の足下が悪くなり、ひとりで立っていられなくなってから、入浴の手伝いはしていません。お風呂場の滑る床で、母が転倒しそうになった時、自分より重い体重を支えようとして私が怪我をしてしまっては、元も子もありません。平日の通所先で入浴サービスがあるので、身体を拭くだけにします。体温と血圧を測り、10時頃には布団に入ります。その後、何度も起きてくることも、朝までほとんど起きないこともあります。起きてくる理由は、だいたいトイレ。トイレに行く回数は日によって異なりますが、便意・尿意を上手く感じられなくなっているため、大人用のおむつを使っています。身の回りの世話のうち、おむつ替えに一番手間がかかります。

 自分のことはたいしてできないまま、こうして一日が過ぎてゆきます。

 ただし、私は、毎日このような生活を送っていたわけではありません。1年に2回、合わせて3カ月から5カ月を日本で過ごしながら、同居していた家族の手が回らない部分を手伝っていました。日中、デイサービスなどに通っていても、いない間にすることはたくさんあります。当初は、日本にいる間も仕事をする予定でしたが、そんな時間はありません。フリーランスなので「介護離職」はありませんが、日本に滞在中の収入はゼロです。その間、カナダにいる家族とは、ネットや電話での会話のみになります。あえて自分だけの時間を作らないと、すべてが介護中心に回り、ストレス度はじわじわと増していきます。超人的なパワーがないと、365日、まったく体調を崩さずに介護を続けることはできないでしょう。

 すべての介護者に、脱帽。

 


ガーリック康子 プロフィール

本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定

 

 

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