2017年8月31日 第35号
「8020運動」を覚えていますか?1989年より、日本歯科医師会が推進し始めた、80歳になっても自分の歯を20本以上保つことを目標とする啓発活動です。この運動の開始から、ほぼ30年が経ちました。日本歯科医師会は、次のステップとして、8020達成者が50%を超える社会「8020健康長寿社会」の実現を目指しています。厚生労働省の推計で、8020を達成した人の割合は、 昨年初めて5割を超えました。8020を達成した人は、達成できない人よりも高い生活の質を保ち、社会活動意欲があるという調査結果や、残っている歯の数が多いほど寿命が長いという調査結果も報告されています。
仮に、8020を達成できなくても、きちんと噛むことができる入れ歯などを使うことで、歯が20本ある場合と同程度の効果が得られます。入れ歯でも食べ物をしっかり噛むことができれば、体全体の健康状態も良くなり、脳が活性化され、認知症のリスクが軽減するという調査結果も出ています。しかし、現代の食生活は、噛まなくても食べられる軟らかい食べ物が増え、咀嚼回数は戦前の半分以下にまで減ったといわれています。よく噛んで食べるために、顎、厳密には咬筋(頬の少し後ろにある筋肉)を動かすことで、脳が刺激を受け、脳の血流が増し、神経活動が活発になります。そして、脳の運動野や感覚野、前頭野、小脳などが活性化します。
食事中に食べ物を噛む以外に、ガムを噛むことにより、同じ効果が得られます。明治大学理工学部の准教授らのグループは、20代から70代の男女の協力を得て、約30秒間、市販のガムを噛んでいる時の脳内の働きを調べる実験を行いました。その結果、被験者の認知機能や記憶に関わる前頭前野が、ガムを噛む前より活発に活動していることがわかりました。この結果は、高齢になればなるほど顕著でした。また、ガムを噛んだ人と噛まなかった人に分け、2分間風景写真の間違いを探す認知能力テストを行いました。その結果、高齢者でガムを噛んだ人の正解率が、噛んでいない人より高くなりました。脳機能回復に大きく貢献する咀嚼は、「脳のジョギング」だと、実験を行った同准教授は言っています。
同じような実験は他にも行われています。例えば、ニューヨーク州のセント・ローレンス大学の研究者が、同大学の学生224人を対象に、実験前および実験中にガムを噛んだグループ、実験前5分間のみガムを噛んだグループ、全くガムを噛まなかったグループに分け、いくつかの実験を行いました。その結果、最も効果が高かったのが、実験直前にガムを噛んだグループで、その効果は20分ほど持続し、特に記憶力の実験でそれが顕著でした。
これほど大切な噛む力。ガムを噛むことの効果はありますが、噛むことの本来の目的は食べるためです。食事の際に気をつけて食べることでも、もちろん噛む力は鍛えられます。①歯ごたえのある材料を使って調理すること、②材料は大き目に切ること、③ゆっくり時間をかけて食事をすること、そして、④食べ物を水や飲み物で流し込まないこと。これらのポイントに留意することで、食べ物を舌で味わい、目で楽しみ、香りを嗅ぎ、歯ごたえを感じながら食べることができます。忙しいからといって、軟らかいものばかりを早食いしていると、 噛む力が鍛えられないどころか、脳は徐々に衰えていきます。
歳をとればとるほど、目や耳などの感覚機能が低下して、脳に伝わる情報が減るうえ、家族や友人との会話も少なくなる傾向があるのは仕方がありません。しかし、しっかり噛むことで意識的に脳に刺激を与えることは、健康のために毎日ジョギングをするくらい重要と考えられています。これまでの常識、「脳は年齢とともに衰えていくのが当たり前」という考えに囚われ、「もう50だから」などと思った時点で、脳を使わなくなります。使えば使うほど、年齢に関係なく脳は鍛えられるのです。
ガーリック康子 プロフィール
本職はフリーランスの翻訳/通訳者。校正者、ライター、日英チューターとしても活動。通訳は、主に医療および司法通訳。昨年より、認知症の正しい知識の普及・啓発活動を始める。認知症サポーター認定(日本) BC州アルツハイマー協会 サポートグループ・ファシリテーター認定