2018年4月19日 第16号

 水面に起こる波を二つ合わせるとまったく別の波が現れる。これは波が二つ重なり合って『もつれた』と表現する。このような波のもつれはいつでも起こっていることでとくに不思議でも何でもないことである。

 光は光子という素粒子量子の波、電子は量子として電子波であるからこれらの量子波ももつれるのは当然である。これを『量子もつれ』という。しかし2個の懐中電灯の光を当てあってもそれぞれの懐中電灯からの光はもつれることはない。それぞれの光子が出会うチャンスはないからである 。

 ところが前回で述べた超伝導の2個の電子はそうではない。電子は膨大な金属原子のそばでその原子と相互作用するし別の電子も同じように金属原子と相互作用をする。この相互作用を通して二つの電子はもつれ合う。つまり二つの電子波は一つの、異なる電子波になる。これは前回述べた超伝導を担う『クーパーペア』である。

 クーパーペア状態の2個の電子はいくら離れても容易に壊れることはない。もし何かの原因で片一方の電子が変化すれば瞬間的にもう片方の電子も変化してしまう。このようにもつれ合っている電子は遠く離れても状態情報を瞬時に伝達することが出来る。これをオカルト用語に倣って『量子テレポテーション』という物理学者もいるが推奨できない用語である。

 実際にレーザー光線の光子を極めて近くに接近させて量子もつれを起こすことはすでに多くの物理学者、応用物理学者が行っていることである。もちろん2個の光子の量子もつれだけではなく多数の光子を一度にもつれさせたり2個の光子を繰り返しもつれさせることも可能になってきた。とくに東京大学工学部物理工学科の古澤明教授の指導するグループは最近100万量子の量子もつれに成功した。このような量子情報関連操作の発展は今注目を集めている量子コンピューターの基礎になるもので世界の研究者の注目を集めている。同教授は日本学術振興会賞、日本学士院学術奨励賞、東レ科学技術賞などを受賞している。

 量子コンピューターと言えばバンクーバーが注目されている。いわゆる『D wave』のことである。これはバーナビーのカナダウェイ道路とウィリンドン通りの間にあるベンチャー企業『Dーwave Systems』の発明になる、特殊な量子コンピューターである。

 この量子コンピューターは1998年東京工業大学の西森教授のグループが提案した『量子焼きなまし』という現象を利用する。焼きなましannealing とは鉄を高温で焼いて突然水に入れて急冷して熱処理を行うことである。水を冷やして0度以下に急冷すると氷の結晶となるがこれを相転移と言うが一種の焼きなましである。

 量子どうしが相互作用して新しい構造に変化するのが量子アニーリングであるからこれを量子コンピューターの原理として使えば『ありうる最適な状態』を見つけることが出来る(『最適化問題』)。

 量子アニーリングよりもっと一般的な量子もつれが量子コンピューターのさらなる開発に結び付けられる日もそう遠くないであろう。日本の物理学の発展がカナダの量子コンピューターの開発にさらに結びつくことを願っている。  

 先にもふれたようにこの連載は来月号で10回目になります。これでこの科学エッセイは終了します。物理科学が興味のある方は毎夏3カ月、YANOアカデミーで行うサイエンスカフェにご参加ください。

 


大槻義彦氏プロフィール:
早稲田大学名誉教授
理学博士(東大)
東大大学院数物研究科卒、東京大学助教、講師を経て、早稲田大学理工学部教授。
この間、ミュンヒェン大学客員教授、名古屋大学客員教授、日本物理学会理事、日本学術会議委員などを歴任。
専門の学術論文162編、著書、訳書、編書146冊。物理科学月刊誌『パリティ』(丸善)編集長。
『たけしのTVタックル』などテレビ、ラジオ、講演多数。 

 

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