2017年11月16日 第46号
依然としてもっとも死亡率の高い疾病はガンであるが、その恐ろしいガンも、初期に発見されれば完治が望めるまでになってきた。そこで偉力を発揮するのがPETと呼ばれる核医学診断法である。
PETはpositron emission tomography という意味の略称で、このポジトロンpositronは陽電子とよばれる素粒子で、電子の反対素粒子のことである。宇宙ではその初期のころ、素粒子と反素粒子が同時に作られたが反素粒子はすべて姿を消した。
陽電子は電子に遭遇すると立ちどころに『心中』して消滅して、電磁波であるγ(ガンマ)線が残る。だからこのγ線の強度が分かれば電子密度、すなわち物質の『濃さ』がどこで濃いのか、どこで薄いのかがわかる。ところが電子はマイナスの電気、陽電子はプラスの電気を持つのだから、お互いに引き寄せ合い、測定した時にはすでに電子の位置がずれてしまっているのではないか。それならばそのときのγ線の強度を測って電子位置をきめたとしても、その位置はずれてしまっているのではないか。
私が東大大学院博士課程1年次に与えられたテーマは、この電子―陽電子消滅のときに電子位置の変化の理論的計算であった。当時東大にも電子計算機はなく、膨大な計算が必要だった。わら半紙1枚に計算式は書ききれなかった。そこでこのわら半紙14枚を横に、わら半紙12枚を縦にのりづけしてわが家の6畳間にひきつめこれに数式を書いて計算した。
そのころ長男は1歳だった。うちカギをかけて閉じこもっててもこの長男は開けてくれと泣き叫んだ。泣く子と地頭には勝てず、ドアを開けたとたん喜んで6畳間を飛び跳ね計算用紙はめちゃくちゃ。(その、私の研究を邪魔した最初の人間はいま日本物理学会の理事だから笑い話ではないか)
くろうに苦労した計算も成功、私の最初の英文の論文として発表された。結果はとても希望の持てるものであった。『陽電子は電子を引き付けるヒマもなくアッという間に消滅する』という結論だった。つまり陽電子消滅のγ線強度は正確にその相手の電子位置を反映しているのだ。これによって陽電子消滅法で物質の電子密度の濃さを測定できる。もちろん人間のがん細胞の電子密度も。これがPETの大元となった。
PET検診では陽電子を放出する酸素15、窒素13、フッ素18などの同位元素を含む薬剤をあらかじめ投与する。投与した薬剤はとくにがん細胞が好んで取り込むものを選ぶ。
PETの優れたところは時間を追うごとに取り込まれる同位元素の量の変化が分かることである。これによって癌細胞の活性度(悪性度)が明らかとなる。そのため、がんでなくとも細胞の劣化の様子(機能性)まで分かる。高齢になって 脳機能が劣化する場合、どの部分が機能不全になっているかが分かる。
このようなわけでX線やMRIで単にガンの位置や大きさが分かるだけでなく、PETではそのがんの悪質性まで分かるわけだ。そこでより正確にがん細胞を検査する手段として最近ではPETとX線CTを組み合わせた装置が開発された。
とくに日本では陽電子に関する研究が多い。このことがあってかPETの装置開発、導入も日本は早かった。東北大学医学部、大阪大学医学部がその先陣を切った。PET−X線CT開発では日立製作所が有名である。
大槻義彦氏プロフィール:
早稲田大学名誉教授
理学博士(東大)
東大大学院数物研究科卒、東京大学助教、講師を経て、早稲田大学理工学部教授。
この間、ミュンヒェン大学客員教授、名古屋大学客員教授、日本物理学会理事、日本学術会議委員などを歴任。
専門の学術論文162編、著書、訳書、編書146冊。物理科学月刊誌『パリティ』(丸善)編集長。
『たけしのTVタックル』などテレビ、ラジオ、講演多数。