受賞おめでとうございます。受賞の感想はいかがですか?

信じられません。人を救ったりするような学問ではないので驚いています。

 

今回の受賞は博士論文の内容が評価されたそうですね。論文のテーマは日本とイタリア、ドイツにおけるファシズムと美術についての考察とのことですが、研究対象が同じ研究者も数多くいるのですか?

少ないですね。日本の戦争中の美術に関しては、昭和天皇が亡くなるまでは文献がありませんでしたし、戦争を描いた作品が150点ほどありますが、占領軍に没収されて1970年代まで日本に返ってこなかったことも研究が進んでいなかった理由ですね。(*現在それらの作品は東京・竹橋の近代美術館に所蔵)。また従軍画家が生きていた時代は批判的なことは書けなかったということもあります。

 

従軍画家という存在がいたのですね。

日本の場合は東南アジア、中国の戦地に従軍画家が赴きました。実際の戦争の場面を見ていたのではなく、戦争の跡地を見たり、捕虜を見たりしたようです。

 

一般の美術家に関して言うと30年、40年代はどんな美術作品が多いのですか?

外国の戦時中の美術家は、戦闘の様子や兵士の姿を描いた作品を陸軍、海軍美術展に出展していました。日本でも、一般の画家によって兵隊などは描かれましたが、美人画や富士山を描く、日本文化を賛美する作品もありました。こうした美術は日本文化崇拝の意味で、国家が提唱していた日本主義に結びつくところがあります。

 

戦争のことを描いたり批判したりするのではなくて、日本文化を強調しているのですね。

戦争や国家を賛美しないと絵の具などが配給されない、そういう時代でした。この頃、日本の美とは何かとか、粋の構造や幽玄、わびさびの定義といった文献が数多く出ていて、美というものが政治的な事とかかわりがあったという意味では面白い年代ですね。私は美術と政治のかかわりに興味をもっていて、最近は震災や津波をテーマとした美術にも注目しています。これは反原発といった違った意味での政治とのかかわりになりますが。

 

他のテーマという点では、「旅する版画・イヌイットの版画のはじまりと日本」という展示会に池田さんが関わったと聞いています。

版画というと、もともとイヌイット独自の文化の中にあったものと見られがちですが、1950年代までイヌイットには版画の文化がなかったんですね。北極圏に美術の指導に行っていたカナダ人のジェームズ・ヒューストンさんが1956年に日本で版画家から版画の技術を教わって、イヌイットに教えたのが始まりなんです。この展示会は東京の在日本カナダ大使館、UBC人類学博物館、バーナビーの日系センターで開催できました。

 

展示会の発起人は池田さん一人だったのですか?

カールトン大学のミン・ティアンポー先生と、カナダ文明博物館のキューレーターの方と私の三人です。私のように大学の博士課程に在籍で、本を出版したり(*池田さんは共著『Art and War in Japan and Its Empire:1931-1960 (Japan Visual Culture)』をBrill Academic Publisherから昨年出版)、展示会を開いたりする人は少ないのですが、初めから無理とあきらめずにやってみることを後押ししてくれた存在がティアンポー教授です。彼女がいなければ今の私はないと言っていいと思います。

 

展示会といえば、東北大地震で池田さんの親戚が被災したことをきっかけに、日本の地震のことを知ってもらおうとUBCで展示会を開いたと聞いていますが。

UBCの図書館には明治三陸地震、安政江戸大地震を描いた版画のコレクションがあり、それに私が説明文を書き添えて一緒に展示しました。開催したのは震災1年後の2012年3月で、この時、シンポジウムも開き、震災時に日本にいた人たちや、カナダから救援活動に出向いた菊地祐二さんに参加していただいて被災地の1年後の状況を語っていただきました。

 

そうした積極的な活動ぶりも今回の受賞につながったのでしょうね。

直接的な受賞理由は博士論文の内容だったようですが、展示会や本のことも関係しているのかもしれません。

 

博士論文に話を戻すと、論文作成の研究過程での苦労はどんなところでしたか?

ファシズムについてはUBCのジョシュア・モストウ教授からの提案で、研究を始めてみるとファシズムとは何かというところから、理論的な疑問がたくさん出てきて、それにチャレンジした4年間でした。世界的にも日本美術史の中でのファシズムに取り組んでいる人はいませんから、研究した意義はあるのかなと思います。イタリア、ドイツの専門家の人にも私の論文を読んでほしいですね。

 

池田さんの理解するところのファシズムについて簡単に説明をお願いできたらと――。

近代に対するリアクションであり、個人主義、消費主義を批判するラディカルで同時に保守的な思想だと思います。近代化する前の日本に戻ろうという……。
ボストンのテロの際に興味を持って、オサマ・ビン・ラディンのスピーチを調べるなどしてみたのですが、彼らの言っていること、イスラム原理主義、ヒンズー国粋主義は、日本が戦時中に語っていることと通じるところがあります。私のやっていることが現代に通じる部分があると思います。

 

なるほど。それにしてもファシズムという大きなテーマを、美術とのつながりの中で消化していくことは大変だったでしょうね。

美術作品や、戦争中に美術家の発言を見てという具体的なところから、ファシズムとは何かといった大きく抽象的なところにまとめて書くと言うのが大変でした。今でも消化したという気持ちはなくて、今はスミソニアン博物館の研究者として、博士論文をベースとした本を書いているのですが、その本の中で再考察していきたいと思っています。

 

美術研究の醍醐味はどんなところにありますか?

美術に限らず、自分の興味のあることを研究できるのが醍醐味です。美術史研究は批判的な要素の強い学問で、特に近代の美術には伝統を打ち破っていくという姿勢がある。美術家自身、社会通念や傍目を気にしない人が多く、そういう型破りなところが好きです。画家のモネは、生きている間には評価されませんでしたが信念をもって描き続け、貧乏で亡くなっています。しかし100年後には世界で評価を受けることになる。そうしたことが希望をもたらしますね。

 

日頃大事に思っていることはどんなことですか?

美術家であろうが誰であろうが、つねに政治的、社会的な役割があると思っています。ですから例えば原発といった社会的な問題に、個人で行動を起こすこと、興味関心を持ち続けていくことが大切だと思っています。

 

池田さん自身として世の中にどう貢献したいという思いでいますか?

公共のイベントや展示会などを通して、一般の人々にも、美術史の研究結果を発表できるといいと思っています。

 

池田さん自身として世の中にどう貢献したいという思いでいますか?

公共のイベントや展示会などを通して、一般の人々にも、美術史の研究結果を発表できるといいと思っています。

*  *  *  *

家庭では2歳児の母の池田さん。時を忘れて研究に没頭することもあり、家庭と研究の「境界を引かなくては」という思いだとか。そんな池田さんは、8月で現職から離れ、9月からはニューヨークのフォーダム大学で助教授として着任予定である。美術史界のホープとして、これからますます活躍していくことだろう。

 

取材 平野香利

 

池田安里(いけだ・あさと)さんプロフィール

東京出身。米国大学資格を取得できるテンプル大学ジャパン(所在地・東京)に入学し、1年半後にビクトリア大学(UVIC)に転学。卒業後、オタワのカールトン大学で修士号を、UBCで2012年10月に博士号を取得後、現在スミソニアン博物館アジア美術館の研究員を務める。今年9月からはニューヨークのフォーダム大学に美術史助教授として勤務開始予定。

読者の皆様へ

これまでバンクーバー新報をご愛読いただき、誠にありがとうございました。新聞発行は2020年4月をもちまして終了致しました。