「スケール」とは
人が大小さまざまな物事に対応する時に基準となるもの。例えば、科学ひとつをとってみても、子供が雨上がりの幼稚園への道すがら見つけた初めて見るミミズの動きのメカニズムに興味を持ってじっと眺めているといった小さな「スケール」から、海流や気候変動や温暖化や政策などをグローバルに捉える大きな「スケール」まである。争い事でも、個人レベルもあれば、国レベルもある。大小さまざまの「スケール」がある。
つまり対象への距離や角度によって、「スケール」はさまざまに変化する。今日、ここに集まっているみなさんの、海外で勉強しているという一番の利点はといえば、違う「スケール」で物事が見えるようになること。小さなスケールでも、大きなスケールで見ることもできる。比較するポイントが自分の中で多くなる。それが、自分も海外で勉強してきて、一番いい財産だと思っている。
その自分自身の「スケール」をどのような経験を通して広げていったかを話したいと思う。
パラオで見つけた海洋人類学という道
ロンドン大学在学中に出会ったのが人類学。国際関係を目指していたが、「人類学に向いてるよ」と知り合った日本人大学院生に進められて、人類学の道に足を踏み入れた。高校時代から、人類学には興味があり、関連する本をよく読んでいたという経験も手伝った。以降、文化系の人類学へと進む。宗教、儀式、政策などの大きなテーマが、コミュニティベースで、人と人とのつながり、自分たちの生き方、物の見方にどのように関係しているかを、世界各地に出かけて行って勉強するというのが人類学の基本。スリランカの悪魔祓いの研究を全く違う「スケール」で話す面白い教授との出会いもあり、同大学で修士課程に進んだ。
修士課程を修了し、帰国して就職か、ロンドンに残って博士課程かの選択肢で、「博士号をやると1年半フィールドワークに行ける」という魅力に惹かれて、博士号を選択した。
そのフィールドワークで訪れたのが太平洋に浮かぶ小さな諸島パラオ共和国。当初の目的はこの島に残っている日本の植民地時代に生まれた植民地化に抗うための新興宗教の研究だったが、現地の人に協力してもらえず暗礁に乗り上げる。しかし、現地で生活している時に、知り合いに漁に連れて行ってもらったことがきっかけで、魚釣りの魅力にすっかりはまる。大学の担当教授に相談すると漁業をテーマしてもいいとのことで、ここから海洋人類学へと入っていく。
やがて1年も生活していると、その島の問題点が見えてくるようになった。漁業、人々の生活、経済と、山積している問題点を持ってイギリスに戻った。(『パラオにおける社会変化と漁業の文化的価値に関する研究(2006)』を発表。)
イギリスではケント大学の研究員として、ドーバー海峡の漁師の生活に密着する研究を行った。他の研究者とも交じり、勉強もした。そんな中で、沸いてくる疑問があった。なぜ、漁師、研究者、科学者、それぞれにお互い話を聞いていないのか。温暖化についても、魚が減少しているという話もあれば、取り過ぎが原因という話もある。小さな「スケール」で見れば、それぞれの言い分は理解できるが、グローバルな「スケール」ではどうなっているのかという疑問が沸いてくる。帰国して、日本で漁師や関係者に話を聞いても、大体同じ。その結論はひとつ。「本当のところはどうなのか分からない」ということが分かった。
NF-UBC ネレウスプログラム
グローバルな視点で漁業を眺めると、漁獲量は1985年くらいまではかなりの勢いで増え続けるが、それ以降はずっと減少し続けている(2001年データ)。減少幅も大きく、どんどん魚が取れなくなっているということが分かる。
漁業地域も、1950年代頃は、沿岸部が多く、ヨーロッパの大西洋沿岸、カナダの大西洋沿岸、日本、台湾付近で盛んだった。しかし、2000年代に入り、太平洋の広範囲やインド洋沖でも激増し、漁の範囲が広くなっている。
こうしたことが、フィッシングダウンという現象を生み出している。大型魚から獲り、その量が減ると今度は小型の魚をどんどん獲っていくという現象。そのため、将来魚が獲れなくなるという危機がグローバルに起こっている。
もう一つの問題は、気候変動による魚類の生息域の変化。魚が涼しい場所に移動しているという今でも起こっている現象が将来はさらに顕著になる。赤道付近に生息している魚に影響が大きいと予測されている。
こうした動きを阻止するために、国際スケールで解決しようとしても、各国政府、機関、漁業者などが複雑に関わって一手にまとめるのは難しい。しかし問題は喫緊している。
その問題解決の糸口をつかもうというのが、NF-UBCネレウスプログラム。日本財団、UBCを中心に、プリンストン大学(アメリカ)、ケンブリッジ大学(イギリス)、デューク大学(アメリカ)、ストックホルム大学(スウェーデン)の各機関が専門分野を担当しながら分野横断的に行う海洋研究プログラム。自分自身は、分野横断的な成果をいかに効果的に成し遂げ、政策につなげられるかを、専門分野の研究者たちに理解してもらうというコーディネーター役を担っている。同プログラムでは、博士号過程や研究員といった若者が中心となって活動している。
去年12月には彼らとともに東北地方を訪問。地元の中学、高校で、彼らが授業を行った。グローバルなスケールでやっているからには、机上のリサーチと同様にフィールドでの勉強の必要性も感じるからで、研究員たちも学ぶところは大きかったと思う。
資料(世界規模の漁獲‐過去と未来)に示された数字では、2000年以降、漁獲高は減少、魚もどんどん減っていく。魚が減少して一番問題なのは、魚がいなくなるということではなく、魚が食べられない人が出てくるということ。お金を持っている人は食べられるが、ない人は食べられないかもしれないという不公平さを生み出すということ。フィリピンでは、魚を取っても自分では食べず売ってしまって、そのお金でカップラーメンを食べるという笑えない現象がすでに起こっている。
こういう問題を解決するために、今、何ができるか、「漁獲努力の減少」など、そういうことがいい方向につながればいいかなと思って仕事をしている。
「学生たちへ」
パラオに新興宗教の研究に行く時には、自分の人生がこんな風になるとは思っていなかった。振り返ってみて、大学時代の一番いいところは、自分の勉強していること、自分が好きでやっていること、考えていることに、クリティカルになれる時であるということ。自分の思ったことが正しいとか、なぜこれが正しいと思ったかとか、突き詰めて、突き詰めて、難しく、難しく、考えていい時代だということ。「難しく、難しく、考えてください、自分のやっていることを。大学生にはその時間があるから」。社会に出るとそういう時間を持てる機会はそんなにない。
物事を、難しく、複雑に考える時間を、できるだけみんなに持ってもらいたい。そして、複雑に考えれば考えるほど、その結果をシンプルに、人に話すことができるようになる。そのプロセスを一生懸命、今の間にみんなに持ってもらいたい。
そうすることで、さまざまに違う「スケール」で物事を見ることができる。日本以外で勉強したことがあるというのは、自分で実際に見て、いろいろなことに関わって、自分の中で複雑に考えてやってきた自信につながるので、そういうつもりでこれからも勉強してもらえたらいいと思う。「大学は勉強するところなので、勉強することを一生懸命楽しんで、がんばってください」
取材 三島直美